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5月, 2009の投稿を表示しています

電王劇場版おもれー

子どもと「劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼が島の戦艦」(→ 公式サイト )を見に行った。っていうか電王は2作前のシリーズなのにいまだにこの人気。タイトルにディケイドの名前があるのに、9割方電王のキャラクタの話であって、ギリギリ広告もしてますよ程度のおためごかしディケイドだった。 これで客とれるんだから、いっそハードSF路線はやめて子供向けで行った方が成功するんじゃないですかね、と思ってしまう。今回の劇場版はデネブをめぐるスピンオフなのだけど、主役が子どもなので、ビルドゥングスロマンであり昔話でありドラえもんであり、勧善懲悪時代劇であり、完全にいわゆる鉄板な作品。どうあっても面白いだろうこれは。劇場のあちこちから子どもの歓声が聞こえる。 ただビルドゥングスロマンの部分は、山形的に微妙かも。だって、親の都合で田んぼばっかりの田舎に引っ越してきた東京の子どもが、成長して田舎の子供たちに一杯食わせるオチですよ。都市対地方の構図が、思い切り都市目線なのって、山形の子どもたちはどう見たんだろうと思う。うちの子どもは子どもゆえの適応能力で最近はほとんど山形化しているので、自己体験との妙な重ね合わせが心配だったけど、完全に杞憂でした。

携帯で撮影した画像のGPS情報、gMapへの登録メモ

携帯で撮影した画像に付けたGPS情報は et's Exif Viewer 2(PHPへの扉 ~ PHPのちょっとしたスクリプトなど) を使うことで閲覧可能となる。あとは XML を使った Google Maps API の一括サンプル: Seis Pesos をダウンロードしてXMLファイルからGPS情報を参照させると、独自のgoogle mapが完成する予定。できるかな。いろんなものがネットには用意されていて心底ありがたいなあ。

google map apiメモ

研究の片手間にやっている(いやこれも研究対象としつつあるかも)多言語看板のマップを作成しようと考えて、google map apiについて調べている。要は携帯写真のGPS機能をもとに、マップ上に写真をプロットできないかなあと考えているわけ。google mapやgoogle earthに写真がはりつけられるんだから、原理的には可能なはず。携帯電話のGPSとgoogleの地図とはともに世界測地系(dms84)に依っている。が、緯度経度表示形式が違うのに注意しなければならない。つまり携帯電話がdd.mm.ssなどのピリオド形式を取るのに対し、google mapはdegree度形式を取る。この変換をしないとgoogle mapでは正しく表示されない。 経度緯度の表示形式変換 のサイトを利用するなどして、変換する必要あり。

全く歯が立たなかった本

竹森俊平『資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす』(→ amazon )がとうとう読みとおせなかった(ということにして投げ出した)。1章の半分くらいでアウトです。基礎知識ないとこれは無理かも。いかに自分が経済の基本に知らんぷりしてきたかがよくわかった。出てくる術語がことごとくジャーゴンだったし…。ただサブプライムローンがどういうものかはそれなりに分かった。そんだけ。 で、留学生向け日本語関係の教材に、バブル経済と崩壊について書かれたハードコアなのがあるんだけど(毎年ここは留学生がすごく苦労する。当り前、教員も苦労してんだから)、その説明をするのに2ミリくらいは役立ったかも。

ゴンズイ

ジョージ秋山『海人ゴンズイ』(→ amazon )。1984年のジャンプ黄金期直前に連載していた怪作ってことで、読んでみたんだけど、かすかな記憶と全然違う。僕の記憶では、最後主人公は海の藻屑となって、無数の魚に身体を食われておしまいだったような…。それは別の作品ということなんだろうか。 で、読んでみて、復刊するほどの作品だろうかと思った。作りのいい加減さが不条理な読後感を生むので、当時の子どもたちにとってはトラウマだったろうが、だったら他の名作を復刊してくれよと思う。太田出版的な企画はもういいんじゃないか。ともあれ、B面の「ドハツテンツク」はまあまあ面白かった。一番面白かったのは、巻末の作者インタビューかな。ジョージ秋山の投げやりな感じがひしひしと伝わってくる。

買ってしまったヤマタツ

山下達郎「SPACY」(→ amazon )買っちゃった。1977年の作品、ということで80年代以降にテレビやラジオで耳にする印象と全然違う。ライナーノーツに本人による曲目解説が出ているのだけど、この人が当時音楽に対して何をチャレンジしようとしていたかが書かれていて、少し勇気が出る。

ヤマタツ三昧

ひょんなことでこの週末は、youtube経由、山下達郎三昧だった。ベストアルバム一枚持ってるだけで、ろくろくまじめに聞いたことがなかったけど、ライブすげー。こんなに歌を聴かせると思わなかった。以下、ヘッドホンつけてきちんと聞いたら涙が出てきたよ。シュガーベイブ時代の解散ライブとか、歴史的価値もすごいんだろうけど、それより声と空気。なんだかわかんないけど涙が。ああ。 YouTube - 山下達郎Performance 08-09 「01. Sparkle」「02. Jungle Swing」 YouTube - 山下達郎Performance 08-09 「06. ついておいで」 YouTube - 山下達郎 「What's Going On」 YouTube - シュガーベイブ 3/6 「粉糠雨」1976/3/31 ラストコンサート荻窪ロフト YouTube - シュガーベイブ 1/6 「パレード」1976/3/31 ラストコンサート荻窪ロフト YouTube - シュガーベイブ 6/6 「DOWN TOWN」1976/3/31 ラストコンサート荻窪ロフト

新型インフルエンザをめぐる情報

日本感染症学会緊急提言「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」 。新型インフルエンザをめぐる情報でいいのを知った(via. 必読 - finalventの日記 )。弱毒性などと言うけれど、過去の事例と比較して、また現在の医療の力を勘案するとどれくらいの威力があるインフルエンザなのか、といったことが数値データをもとに説明されている。また、感染・罹患したらどうなりうるのかといったことも紹介されている。医療機関向けいうものの、一般向けとしても非常に分かりやすい。 内容 ① 過去の我が国における新型インフルエンザ流行の実態から学んでください ② 新型インフルエンザは、いずれ数年後に季節性インフルエンザとなって誰で も罹患しうる病気です ③ 新型が流行すると青壮年層の被害が甚大となるのには理由があります ④ 流行初期から一般医療機関への受診者が激増します ⑤ 重症例にはウイルス性肺炎よりも細菌性肺炎例や呼吸不全例が多く見られます ⑥ 一般予防策ではうがい、手洗い、マスクが効果的です ⑦ 医療従事者の感染予防にはサージカルマスク、手洗い等が効果的です ⑧ 全ての医療機関が新型インフルエンザ対策を行うべきです 感染性の高さもあってか、いずれ季節性インフルエンザとなり国民のほとんどが罹患するだろうと。しかもそれが死にいたるリスクは過去の季節性インフルエンザと同じくらいだから過剰な心配はいらない、そして免疫力がつくのでリスクは全体でみれば下がっていくとのこと。

シンプルでいいのかもしれない

通販で購入したターメリックとジンジャーパウダーを中心に、家にあったびん詰のナツメグ、コリアンダー、クローブ、ホールのホワイトペッパーを少し混ぜてカレーを作った。カルダモンは購入はしたけれど使用は見送った。前回同様レモングラスも少々。水加減がうまくいかなくて水分の多いカレーになってしまったこと、ホワイトペッパーがわずかでも辛さをもたらしてしまったことが課題。トウガラシを抜く代わりにせめて、と思ったがやっぱり駄目か。購入した本を見ると、クミンは入れとけみたいな情報が。 次回はターメリック、ジンジャーパウダー、カルダモン、クミン、レモングラスだけで行ってみる。目標はマレー半島のカレーっぽくて、辛くないやつ。 今日はうまくいかなかったけど、子どもには好評でモリモリ食べてもらえた。良かった。

しかしわたしはあなたと共にある

本棚にいい加減に差し込んである遠藤浩輝『EDEN』の1巻をオクサマが発見して、先が読みたいから残りを段ボール箱からサルベージせよとの命令。ミイラ取りがミイラ取りになって、思わず再読してしまった。久しぶりに読むと新しい発見があったりする。 EDENの面白さは、近未来SFの体裁をなしながら、世界の権力再編後にも生じている経済や生活の南北格差と、民族や宗教の対立をリアルに描いているところにあると思う。で、第16巻(→ amazon )の、105話~107話「Icon」という小さな話の連なりが、宗教的な美しさに彩られていて思わず背筋がぞわっとなってしまった。 以下、どんな話かっつーと、という話。 * * * * * この掌編の舞台はインド。世界観がかなり作りこまれているので簡単に説明するのが難しいのだけど、地球レベルの地殻変動の結果、被災者があふれるなかで、ヒンドゥーとムスリムの対立による無差別な殺し合いが続く。世界政府だか赤十字だかから届く医薬品などの救援物資や救助のための最新技術は、高い社会階層にばかりつぎ込まれたりするし、残りの物資も民族同士の奪い合いの憂き目にあって、災害時にも関わらず殺し合いが繰り返し起こる。「Icon」で主役として描かれるのは、物語では端役のラヴィ・シヴァン医師という登場人物だが、医師の職責を果たそうにも、手当をした矢先に虐殺されたりするので途方もない虚無感に襲われている。 で、EDENのSF設定であるところの、ウイルス進化がもたらした人類のあたらしい集合結晶体コロイド。コロイドは人間が作り出した民族や宗教、階層などの価値にかかわらない。したがって悲しみや絶望にさらされた弱き人々は、この世で生きるよりもコロイドとして生きることを選び始める。周縁として生きざるを得ない世界中の人たちは、絶望の末、こぞってコロイドに入ってゆく。医師であるラヴィも絶望に蝕まれ始めるころ、枕元にかつてコロイドに飲み込まれた妻が立ち、「こちら側」で生き続けることに疑問を持たされる。 そこへ、もう一つのSF設定であるところの、AIプログラム、マーヤが現れる。物語ではマーヤは預言者のような存在。マーヤは「世界を救うこと」が自分の目的であるといい、コロイドが作り出す新しい人類の可能性について説く。ラヴィは荒廃した丘の上で、コロイドに入ろうとするが、すんでのところで思いとどまり踵を

いやだなあ…

首都圏では新型インフルエンザの話が盛り上がっているようですが、山形では恐ろしいくらいに盛り上がっていません。職場では緊急対策委員会が開かれたのに、感染者が出たら考えるとの報告がありました。対策考えてないじゃん。しかも身近にインフルエンザの学生が出たのに「新型の検査は不要」と保健所が言ったから検査してないとかって、うーん、現場で有効なガイドラインがないために大騒ぎするのも問題だけど、学校って接触場面がすごく多いから「大丈夫大丈夫」ってのも問題じゃないの?しかもA型だし。保健所の判断を真に受けてもいいんだろうか(しかし素人としては信頼するほかない?)。こういうときは、保健所の判断を超えて、学生に再検査を促すべきだろうか、考えてしまう。 というわけでー。他の県でも「検査したら結果が分かっちゃうから検査しない」ことで、カウントされていないケースが相当ある、ってことが身近に想定できる。

日本の原子爆弾

アンティキテラの本のなかに、原子爆弾を作る研究をしていたのはアメリカだけではないとあって、読み進めるとそれは日本だ、という記述があったので驚いた。全然知らなかったです。無知蒙昧なヤカラで…。 日本の原子爆弾開発 - Wikipedia 理研八十八年史より で、完成ならずして東京大空襲で破壊されたウラン分離実験施設を、山形に再構築しようとした、というのも驚き。山形のどこにだよ。 ともあれ、アンティキテラの本では、やや不自然な流れで日本の原子爆弾研究に触れられていて、どういう言外の意味があるのかなと勘繰りたくなる感じでした。

アマゾンでスパイスを購入

山形でスパイスを探すのは大変そうだからネットショッピングかなあと思ってたら、アマゾンでも入手可能なのね。 niji wo mita: 東南アジア風カレー 以来、自分でカレーを作りたくて。市販のバーモントとかも好きだけど、もうちょいエスニックな感じのが食べたい。で、こないだ作ったのは子どもには少し辛すぎて不評だった。トウガラシが入っていない調合のためには、自分でスパイスを選ぶしかないよなあ、というわけで。とりあえずターメリックさえあれば、あとは自宅のスパイスを適当に調合するとして、せっかくだからカルダモン(→ amazon )も。注文し逃したクミンはまた今度にする。たぶん、ターメリック(→ amazon )とバイマクルーだけでかなりそれっぽいのが楽しめるはず。ああ、ネットって、音声情報と視覚情報に、においが乗ればもう完璧なのに! 合わせてこんなのも思わず購入してしまった(→ amazon )。まんまとやられた。

アンティキテラ島の機械

ジョー・マーチャント『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』(→ amazon )読了。finalventさんが書評されているのを読んで(→ [書評]アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント): 極東ブログ , 2009-05-07 - finalventの日記 )すぐ手に入れた。アンティキテラの機械(Antikythera mechanism)の画像がネットでも公開されているので、以下( ファイル:NAMA Machine d'Anticythère 1.jpg - Wikipedia )。 中学生のころだったか、友人の家にあった「ムー」に掲載があったような記憶がある。つまりこれは、少なくとも20年前はオーパーツとしても扱われていた。20世紀初頭にアンティキテラ島沖海底からこれが発見されてから、紆余曲折を経てデレク・デ・ソーラプライスという研究者が最初の体系的な研究を行い、別の研究者マイケル・ライトが批判的に受け継ぐまでの時期。SFやオカルトで面白おかしく取り上げられた時期なのだと思う。90年代から00年代に、現代のコンピュータによる技術力でその正体が明らかにされるまで、より厳密にいえば2006年11月発行の「ネイチャー」誌で報告されるまで、この「謎」の機械はオーパーツファンのものだったのかもしれない。 本書のほとんどは、この100年にわたるアンティキテラの解明史に費やされている。ほとんどプロジェクトX的なノリなので、そういうのが楽しめる人は間違いなく楽しめるだろう。あるいは何かが解明されるプロセスが好きな人も楽しめると思う。僕はどちらかというと後者だった。ほとんど古代文字が解読されるときの興奮に近いものがあった(チャドウィック『線文字Bの解読』(→ amazon )とか)。 この機械が何をするものだったのかは、ネタバレになるので書かないが、「当時の科学に対する知識ではこれが作られたはずはない」ということは当時の天文学的な知識の水準に照らし合わせて、明確に否定される。本書では非常に精密な歯車の仕掛けが明らかにされるが、それは確かに約2000年前のギリシャに存在していた。とすると、これがオーパーツではないことの筋道立てとしては、この技術がどこに伝えられ、またどこで失伝したかことの後付けにかかっているだろう。 実は個人的に一番考え

入手したCDメモ

正月のPOLYSICS以来、新しいものは何も入手していない。家が音楽を聴ける環境じゃないこと、通勤時間が短いこと。職場のみんな帰った時間に一人で音量あげるくらいが関の山。新しいものの摂取がよどんでくると、僕の場合はあんまりよくない気がする。 ということで思い立ってツタヤに(購入じゃねえのかよ)。shimizuに薦められたミドリの「清水」(→ amazon )と、「あらためまして、はじめまして、ミドリです」(→ amazon )。私小説全開な歌詞に爆音と、うわさ通り確かにピアノですね。ジャケット、「あらためまして」のほうは山本直樹。「水中、それは苦しい」にも書いてたよね。

入手したマンガメモ

入手したマンガメモ。3か月分くらいかな。 ウィスット・ポンニミット『ブランコ4』、久保保久『読んでますよアザゼルさん3』、すぎむらけんいち『ディアスポリス12』、武富健治『鈴木先生7』、迫稔雄『嘘喰い11』、中村光『聖☆お兄さん3』、山岸涼子『テレプシコーラ2部2』、山岸涼子『ジゼル』、杉本亜未『ファンタジウム1~3』、伊図透『ミツバチのキス1』、青野春秋『俺はまだ本気出してないだけ1~3』、多田乃伸明『70億の針1~2』、久正人『ジャバウォッキー7』、さそうあきら『マエストロ1~3』、沙村広明『無限の住人24』、フェリーペ・スミス『ピポチュー1』、福島聡『機動旅団八福神9』、岩明均『寄生獣8(最終巻)』、よしながふみ『大奥4』、東村アキコ『ひまわり10』…あとなんかあるっけ。 いまさら?みたいなのも含む。連載誌のほうで最近記憶が熱いのは、ネウロの最終回と、先週の喧嘩商売、花沢健吾の変な新作くらいかな…。安定してうすたは同世代な匂いを強烈に発し続けてます。「俺カッコイイ」ものへの徹底したこきおろしと、3回くらい捻ってやっぱり愛してますみたいな。

ホジョー

最近、娘がヤバイ。というかむしろ僕の頭がヤバイ。ヤバイカワイイのである、と無駄に若者に迎合した物言いを試してみつつ話をそらしてみつつなのだが、1歳ちょいの娘を相手にいい加減な言葉(「君を一生大事にする」的なものではなくて、むしろ言語。赤ちゃんとしゃべるために僕が考えた誰にも通じない無意味語)をかましているうちに、定着してしまったものがある。「ホジョー」「ホジョジョホジョ」「ホジョジョイジョジョ」などがそれ。調子に乗って娘のことを「ホジョ山ホジョ彦」「ホジョぴょん」などと呼ぶうちに、最初から対応する意味内容を持たないホジョの使用場面がかなり拡散し始めた。 そして自分で始めたホジョなのに由来が全然分からないのである。時折、新しいへんてこな言葉を作り出してみたり、素っ頓狂な歌を鼻歌レベルで作曲する自分すげーと思っていたら、気づいたら元ネタが「ほのぼのレイク」だったことに気づいて愕然とする。あるでしょうみんなそういうこと。しかるにホジョが全然わからない。分からないが、喃語から人語へと進化中の娘がわりあいはっきりとした滑舌で「ホジョ」と言い出した。これといった意味内容と結び付けているわけではないので、ほとんどオールマイティーに使えるホジョを、娘ことホジョ山さんはとりあえず父親とコミュニケーションをとるための何らかの手段と認識してか、僕の顔を見て時折「ホジョー!」と挨拶をする。そして時にはネイティブスピーカーが相手の発音をゆっくり諭してやるときのように「ホウ、ジョーウ」と丁寧に発音して見せる。ヤバイ。ヤバイカワイイ。あ、そらした話が元に戻った。 いやー、言葉って本当にすごいと思いませんかみなさん。

標準語成立をめぐる読書メモ

何をいまさらという感じですが。講義で標準語成立のトピックスを扱うことに決めて、ダラダラ読んだ本。手に入れやすく、読みやすく、比較的最近のものということで以下。村田雄二郎・C・ラマール編『漢字圏の近代』東京大学出版会,2005(→ amazon )、安田敏朗『「国語」の近代史』中公新書,2006(→ amazon )、イ・ヨンスク『「ことば」という幻影 近代日本の言語イデオロギー』(→ amazon )。僕っていわゆる「国語学」として日本語学を学んだクチですが、「国語学」側からの文献紹介がないってどういうことかと。いちおう、真田信治『標準語はいかに成立したか―近代日本語の発展の歴史』創拓社,1991(→ amazon )もあるにはあるけれど。ちょっと古いので制度としての「国語批判」の文脈はない。井上ひさし?『国語元年』?ご当地として?あるけどパス。あと「国語を作った偉い人列伝」みたいな本もオールスルー。 で、いろいろ散読してきたものを改めて集中して読んだことで、少し頭の中で整理ができた。前島密から国字問題、言文一致から小学校読本、植民地獲得から周縁で先鋭化される国語教育という流れ。安田氏の本は、一連の著作の集大成なので入門書としてもいいかも。例によってカルスタを縦横無尽に利用しての近代国語批判だが、旧国語学からのベストアンサーはまだない気がする(あったら僕の勉強不足)。イ・ヨンスクは古典『「国語」という思想―近代日本の言語認識』の続編という位置付け、でいいのかな。村田雄二郎編のは、漢字文化圏の近代化についての概説だけど、ちょっとゆるすぎる感じ。中国白話文のところが面白かった。 のだけど、個人的には、江戸末期はまったく共通語がなかったのかというと、そうでもなくて、江戸の武家の言葉がなんとなーくゆるーく全国に通じていたのではないか、といった指摘が改めて興味深かった。やっぱり「国語学」の人なのかな、とやや自嘲的に「国語学」の文献をいくつか紐解いてみると、ヘボン『和英語林集成』第2版(1872,明治5年)の方言に関する記述に「江戸語を語る者は、教育のある階級の間では、日本国中どこにおいても少しの困難もなく理解されるであろう」(松村明『増補 江戸語東京語の研究』東京堂出版,1998,p.20の訳による)という記述のほか、そもそも幕末から明治にかけて編まれた、外国人のための日本語

「こばとの じゅばんん ともて だじい」では意外に読めず

ねとらぼ:確かに“読めてしまう”コピペに2ch住人が「人間すげー」と驚く - ITmedia News 。あはは、これすごいな。語頭情報が重要であるということは言語学的にはすでに良く知られている。けれど、こうやって文章を読めてしまう現実はやっぱり「人間すげー」です。 こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? ちんゃと よためら はのんう よしろく 「こばとの じゅばんん ともて だじい」が読みにくいのは、4文字語もしくは助詞込み4文字以上なら音転倒があってもイケルけど、3文字語以下だと厳しいということでしょうね。語の長さが語の識別性を保証している、ということも言語学的によく知られたこと。すなわち、 語の長さによる識別性>音転倒による非識別性 となったときに、「読めちゃう」現象がおこるだのとおわもれる。 (追記) つまり「文字の順番が入れ替わっている」「最初と最後があっている」条件を満たすのは、最低4文字必要ということ。元記事では最後の文字も固定でしたが、見落としていました。 * * * * * たとえばこの話は、小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(→ amazon )での主張、すなわち土佐日記の「をとこもすなる日記」に「をとこもじ(男文字)」が隠れていることの蓋然性を高める根拠ともなるだろう( niji wo mita: 古典再入門―『土佐日記』を入りぐちにして )。

一瞬ぐうの音も出ない朝

うちの職場には寮があって、そこでは日本人学生と留学生が相部屋で暮らしている。なにぶん地方社会は牧歌的で地域外のことに関心を持ちにくい環境であるため、留学生は「日本人ってこんなに外国のことを知らないんだ!」とショックを受けることがこの時期の恒例で、ある種独特な5月病に似た状態に陥ることもある。 「韓国ってコンビニあるの?」「台湾にビルってある?」「台湾ってロシアの北?」「韓国って雨降るの?」みたいな豪速球がびゅんびゅん飛び交う中、「台湾って中国の一部だよね」「韓国って北朝鮮と関係があるの?」など歴史・政治的にギリギリ(いやはっきりか)アウトかも、みたいな質問が純情で素朴な興味としてふわっと出てくる。留学生も悪意がない分、やり場のない思いにどうしようもなくなるらしい。いやー。異文化衝突の初期段階ではあるけれども!そしてアメリカの田舎に留学した日本人学生がショックを受けた話なんかも負けないほどたくさんあるけれども! とにかくものすごく彼ら彼女らが落ち込んでいるのをフォローするのも仕事なわけだけど、そして悪気はないんだからとフォローにならないことをフォローしてみて、一方で「無知と悪意は根本的にはつながっている」というテーゼが身に染みたりする。という話を朝っぱらからサマオクとかましていたら、「それを怒らずに受け止めるのが知性じゃね?」と言われてぐうの音も出ない朝。ワンクッション置いて、「手がつけられないほど怒り散らして見せるのも知性でいんじゃね?」と返せなかった思いを今ここに。

メモ。 「最初のアットマーク(@)は1536年」:@の歴史 | WIRED VISION 。書物の書写作業の中で生まれたとされる。日本の写本にも同様なものは見られる。

東南アジア風カレー

二日酔い明けにどうしても東南アジア風カレーが食べたくなって、自分で作ることにした。ずいぶん昔に、妹から教わったものを、記憶を頼りに、どうにか。出来は手前みそ的に上々。 1. にんにく2かけ、生姜1かけをすりおろし、バターで炒める。 2. 玉ねぎ3個をすりおろし、1に混ぜて炒める。 3. 火を止めて、カレー粉(市販のパウダーか、好みの調合で)を大匙2をよく混ぜる。 4. 出来上がったカレールーは取り置く。 5. 具を炒める。今回は、鶏肉、ニンジン、ジャガイモ。 6. 鍋に5を移し、牛乳を具材が隠れるくらいに目分量で。 7. カレールーとプレーンヨーグルトをお椀1杯くらい。 8. レモングラス(バイマクルー)を3本くらい。 9. 具材に火が通るくらい煮込めば出来上がり。 どのへんが東南アジア風かというと、レモングラスが入っているところ。これがないと、インドっぽいままでおしまい。市販パウダーにはトウガラシが入っているので、子ども向けにするために多めにヨーグルトと牛乳を入れたが、子どもにはやや辛かったようだ。スパイスを調合してくれるところは山形にはなさそう。 もう一皿は、鶏肉ときゅうりのサラダ。

高速道路が安いとかいうのの経済効果

なんか国道13号走ったら、県外ナンバーがすごい多くて。関東、関西、九州まで!しかも13号の下りが、おびただしいヘッドライトのうねりを作りだしていて、これは山形では西バイパスにマクドナルドが初めて作られた時以来の渋滞ではないかと思われる(知らんけど)。そしてなぜか反射的に口ずさむ音楽、テーレーレー、テーレーレテッテテー♪の正体は、はたと気づけば、西部警察のテーマなのだった。 近所の乳牛のアイス食わせるところに行ったら、1000円でここまで来ちゃった!という千葉出身の方。どんどん山形にお金を落として行ってね、という百戦錬磨の野菜売りのおばちゃん。そして対照的にJRは競争力を維持するために、もっと安い新幹線のプランを出さなきゃいけないと思うよと語る俺。関西まで5000円くらいで往復できるようになるといいと思うよ。飛行機速いけど揺れるから最悪だからね。時間・速度で負けるJRは、安価な陸路で売るという道筋しかないと思うよ。そうすると科研費の経費内訳の多くに旅費を組み込んでいる人は大幅に金額を削減することなって、ひいては財源に余裕ができてもっとたくさんの人がもらえるようになるよ!それがいいと思うよ!これぞ自己中心型経済理論だと思うよ!

ひとを分けるものつなぐもの―異文化間教育からの挑戦

佐藤国衛・吉谷武志編『ひとを分けるものつなぐもの―異文化間教育からの挑戦』ナカニシヤ書店(→ amazon )をダラダラ読了。帰国子女、外国人配偶者など、文化的多様性における「つながり」についてのフィールドワークからの提言。対話が関係性を変えることの実例が、丁寧に記述されていて、久しぶりに質的研究の醍醐味を堪能した。 こないだ水村氏の本(→ amazon )を読んで、「正しく豊かな日本語」の戦略的使用(→ niji wo mita: 戦略としての「正しく美しく豊かな」日本語 )などと書いたが、それを金科玉条のようにして旗振りをするつもりもない。学習者が置かれた網目のような社会的関係性のなかで、それが戦略的に用いられるかどうかは、その都度、決められるはずだ。といった思いを、いまさらながら強くした。 ところで、これまた先日書いた niji wo mita: 「向こう側」と「こちら側」 のフォローとして、国立特殊教育総合研究所『発達障害のある学生支援ガイドブック―確かな学びと充実した生活をめざして』(→ amazon )をざっと見たけど、よく出来てるなあ。障害って病気じゃないから治るものでもないわけで、だとするとミクロで見れば対話、マクロでみれば制度的な話としてどう向き合い、関係を構築するかという次元の話になるわけで、多文化理解マターであるように思われる。この件はいずれ。 ともあれ、話は戻って、僕にとっては質的研究の何がいいって「いろいろあるから、いろいろ対話して、いろいろ関係作ろうよ」が好きかなー。自分が量的研究だから隣の芝生に見えるのかもだけど。何も考えないタイプの保守論調「ここは日本だから」みたいに刀一本しか持たない人が気の毒で気の毒で。

自転車

ゴールデンウィークとて暇なわけでもないのだが、かねてから約束していた自転車を子供に購入した。公園で3時間程度練習したら突然乗りこなせるようになって驚く。自分の場合を振り返ると、保育園のうちに補助輪つきに慣れて、小学生で補助輪なしへの移行は相当苦労したので。それだけの話。 今朝、清志郎の訃報を聞いた。ミュージシャンとしてよりも、自転車乗りとして興味を持っていた。合掌。