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黒田硫黄『大金星』

黒田硫黄の最新短編集『大金星』(→ amazon )。7つの中編・短編が並ぶ。読んだことがないのとあるのとがちらほら。奇妙な生物である隣人との生活を描いた「ミシ」は黒田節効きまくりの不条理疾走異世界青春ものとでも呼ぼうか。『茄子』「アンダルシアの夏」のスピンオフ「アンヘル」は、これまた黒田節効きまくりのお話かつマンガ表現的には結構実験的なのでは?というカットがそれとなく潜むなかに、レースの躍動感とスピード感がすさまじい。動いていないのにこれは絶対動いている。熱い。 というわけで、こないだの niji wo mita: 黒田硫黄・福島聡・ハンター 同様、マンガ読みは絶対買いだと思う。

今日のツッコミ

中山成彬衆院議員の失言は、この筋の人として「あるある」という以上でも以下でもないのだが、この言い訳(→ asahi.com:中山前国交相「言葉狩りしては政治が活性化しない」 - 政治 )もまた脱力感に彩られている。見事に語るに落ちてるな。  国土交通相を辞任した自民党の中山成彬衆院議員(宮崎1区)が29日、TBSのテレビ番組に出演し、辞任の一因となった「単一民族」発言について、「言葉には気をつけなければいけないが、言葉狩りばかりしていると政治が活性化しない」と述べた。  番組終了後、中山氏は「言葉狩り」の意味について、記者団に「単一民族という言葉は使っちゃいけないんだなと思った。『同質民族』と言えばいいのか、なんて言えばいいのかと思って、瞬時に言葉が出なかった」と説明した。 言い換えの問題じゃないでしょう。「同質民族」であると仮定すると、どのように「政治が活性化」するのか語っていただかないと。

言うほどオルタナではない

しかしどうも、何なんだ。勉強してこなかった人間に限って、大学に入ってからコンサバティブなことを学びたがる。ちょっとでもオルタナティブなことになると、みんなそっぽを向くなあ。「文化のルーツ」で100ヘーくらい叩き出している裏番組で、「文化の相対化」と「戦略的装い」とか言おうものなら、受講者の差は歴然というグチをここでこぼさせてもらおうか。 それにしても、コンサバティブな領域って、どうして「実学」とか「役に立つ」とか言うことと相性がいいんだろうか。実際そういうのは、教養とある種の階級上昇が結びつきにくくなっている昨今、もう飲み屋のウンチク話くらいにしか役立たない、というか飲み屋でもたいがいウザがられるからもうどこでも役に立たないのに、と遠吠えしてみる。

おいしいお店と音楽イベントの悲しい関係

そういえば、引っ越しのさなか山形にやってきたed君は、この山形で1年に一度開催されるイベント、"Do It!"(→ do it 2008 )を見に来たのだった。僕もライブは見たかったし、ed君ともゆっくり話したかったのだが、なかなか時間が取れず残念だった(引っ越し手伝ってくれてありがとう)。ほとんど知らない出演者の中、少年ナイフとかモーサムトーンベンダーとかあれとかこれとか知ってるのをかき分け圧倒的な存在感をもって鳥肌実大先生(→ 公式サイト )!…行けなかったことがつくづく残念に感じられた。 それはさておき、若きミュージシャンかつイベンターのed君から聞いた話でさもありなん、と思ったのはある種のホスピタリティというか、エンターテインメント性がイベントに足りなかったという話だった。音楽以外の、特にフード!カレーと芋煮くらいしかなかった、というのは寂しい。小さな山形だが、こういうイベントに出店して来客を楽しませるお店はそれなりにあるのになあ。カレーと芋煮しかないと思われてしまうではないか。あそことかそことかあれとかこれとかさあ…。音楽が好きで食べ物もおいしいってお店が、この手のイベントと連携しないのはなぜだ。もうー。

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち

先週末に引っ越しをした。以前住んでいた、在郷の町から山形県内の県庁所在地、山形市である。以前よりずいぶん便利で、といったあたりをグダグダ書きたい気もするが、段ボールにひたすら本を突っ込みながら感じたことは、「読んでない本がたくさんあるー!」だった。この業界にはいわゆる「積ん読」なしで月間100冊読破を超える猛者もいることはいるが、こちとら読書スピードも読書時間の作り方も、思い切り凡人なのでとにかく読んでいない本がたまりまくっていくのが恥ずかしい限り。今度は自分用に一部屋もらえたので、その僥倖を今週は味わい尽くしている次第。 で、そのうちの一冊。内田樹『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』(→ amazon )を今更ながら読んだ。勉強を嫌悪する子どもの考え方が、市場的に価値あるもの=等価交換できるものでなければ、意味がないとするあたりは(これは内田氏独自の指摘ではないが)仕事上興味深かった。この他、本書の大きなポイントである、誰かと連帯することによるリスクヘッジの必要性、市場原理の前提をなす即時性をどう破り時間性を回復するかという話は、身に浸みまくった。たぶん、僕自身がこの数年かけて内部に感じている変化は、これらのポイントと関係があるのだと思う。 それにしてもこの人の書いていることは、基本的に「昔は良かった」に過ぎない。そのようなオッサン的な蚕主義じゃなくて繭を作らない方の懐古主義は、脊髄反射的にウエッとなりがちだが、こうして筋道立てて説明されると、うん、腑に落ちなくもない。やだなー、こういうオッサンの手から逃れようとあがいても所詮は悟空、私の掌みたいなのって、などと今更言い仰せる35歳であった。

闇の子供たち

映画の宣伝をネットで見かけ、梁石日『闇の子供たち (幻冬舎文庫) 』(→ amazon )の原作をうっかり購入したら、ついファミレスで4時間もの時間を過ごす羽目に。ノンストップで読了してしまった。前半はタイ北部の幼児売買と、都市部で生じている幼児売春の凄惨なさま、後半は幼児を殺害しての臓器移植を阻止せんとするNGOと新聞記者の活躍(と失敗)が描かれる。梁石日なのでほとんど露悪的な描写にとまどうが、人間の欲望をどう低く見積もっても、現実がこの小説以下ってことはないだろう。 この小説では、遠い外国で起こっている凄惨な出来事が日本の社会や生活と無関係ではないんだということが、いろいろな方法で繰り返し訴えられている。また、同時に「無関係ではない」というありかたにもいくつかが示されている。それがその都度後ろからどつかれている感じで、いやな汗をかいた。物語の結末近くでは、主人公の強力な味方であるはずの正義感あふれる新聞記者が、結局は他者の眼差しから事件を新聞記事にするということにとどまって、現場と共に生きようとするボランティアの主人公と袂を分かつ。こういうの、マイノリティ研究とボランティアの確執みたいな文脈で聞き覚えがあって、さらにいやな汗を。

メタルとクラシック

クラシックとヘビメタ、ファンは似た性格:「音楽の趣味と性格」を調査 | WIRED VISION (via. 極私的脳戸/日々の与太 ) とのこと。同記事によれば、 調査を指揮したAdrian North教授は、英国放送協会(BBC)に次のように語っている。「最も驚くべきことの1つは、クラシックのファンとヘビーメタルのファンがよく似ているということだ。どちらも創造的で、落ち着いているが、外向的ではない」 というが、これは実感に合う。というよりも、様式美と呼ばれるレインボウとかイングヴェイとかはクラシック音楽のフレーズやフレームを借りているわけで、音楽そのものが似ているのだからリスナーの傾向が合うのはさもありなんという感じもする。そのような意味では特段驚くには値しないと思う。また、メタルはオタク文化とも親和性が高い。レゲエやラップミュージックのリスナーが外向的で、メタルが外向的ではない、というのも相当なステレオタイプではあるけれども、その表れと思われる。そして経験的には、クラシック音楽の熱心なリスナーは、オタク文化の担い手であることは少ないように思うが、モノへのこだわりという点で相当にオタク的だったような…。 調査法とも関係するが「ヘビーメタル」という音楽をどのように定義しているかは気になる(もちろんクラシックの定義もねえ?)。NWOBHM(→ wikipedia )あたりを念頭に置いているのだとすれば、リスナーの心性に、耽美的で自己愛的というのも加えてもいいかもしれない。