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雅から性欲へ、じゃなくておいしくて良かった話

UCCから出たジャパンプレミアムシリーズの新作「雅」がおいしい(→ 美(おい)しい香 雅| レギュラーコーヒー UCC JAPAN PREMIUM(ジャパンプレミアム)凛・艶・雅 )。キャッチの「香り立ち良く、コクのある味わい。メープルのようにやさしく、ほのかな甘み。」は、ほんとにほんのり甘みがある。スーパーで買う豆でおいしいお得感とあいまってなんか良かったので、HPをキャプチャ。 よく行くコーヒー豆屋さん(→ スイカフェ Sui-cafe + beans store 山形県山形市 焙煎工房 スペシャルティコーヒー専門店 )も、もちろん豆もおいしいのだけどキャッチの書き方がいつも上手だなあと思っていて、つい買ってしまう。香りや味を別の食べ物になぞらえて表現するというのは、僕はこの店で初めて体験した。ナッツ系の香り、フルーツ系の香り、チョコの香りなど、ちょっと新鮮。と思っていたら、コーヒーテイスティングの世界では、ある種の専門用語としてこうした言葉のラインナップが存在するのだね(→ コーヒーテイスティング用語|上海珈琲実験室・自家焙煎珈琲屋アルトコーヒー )。 肯定的な評価に用いられている言葉、ああ見たことあるある。独創性ということではなかったみたい。それでもやっぱり目を引くのはあるね。なかでも、口に含んだ質感で「きつく目の詰まったニットのような」ってどんなだろう。こうやってコーヒーを表現する語彙が豊かであるのは、気安く「文化的な香り」がするなどとは言いたくないけれど、実際楽しい。 * * * * * 臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』((→ amazon )によれば、ピューリタン革命後の17世紀イギリスでは、アルコール廃絶運動とともにコーヒー・ハウスが隆盛を極めたそうだが、ご婦人からはコーヒー飲むと夫がインポテンツになるからやめろ、などとコーヒー反対運動が起こったとの苦笑いしちゃう話がある。ほんで18世紀フランスではヴェルサイユの貴婦人方に大受けしつつも、やっぱり性欲減退させる説が妻帯に厳しいカトリック僧侶にも受けて、というこの本はなぜ近代市民社会を性欲で語ろうとするのでしょうか。近代市民社会を作ったカフェ文化の話は、イギリス、フランスどちらの章も性欲の話で終わっています。 コーヒーといえば、昔アラブの偉いお坊さんが西田佐知子に歌を教え...

宋本広韻データ

宋本廣韻データ を使う。昔あった電子広韻とか電韻200とか呼ばれていたものからすれば、隔世の感がする。ユニコードではIPA拡張があるので、音声記号での表示もできるし、表示される漢字の種類もたくさん。かつては蟹攝咍韻を表示するのに「口台」などとするほかなく、いまも僕が使っている登録辞書には「かい」と入力すると候補に出てくる(消すのがめんどくて)。 しかしこの 漢字データベースプロジェクト ってほんとすごいです。 niji wo mita: 恐るべし漢字字書データベース で触れた時のデータがこのなかに移動したのだね。かつては声調と調値の関係が漢文のひとたちの解釈であって、言語学的な解釈とは異なるものが記載されていたけれど、あら金田一春彦や頼惟勤が参考文献となっていて(おいしんぼ栗田さん的な余情表現)。

コントローラブル・ドッグ

長年の犬苦手症候群が友人のところで犬と交流を続けているうちに、なんかこう勘所がわかったような気がしつつあるかもしれない可能性が見えてきた。元来犬と猫のどちらをかわいがるかといえば、昨今の「犬と猫は必ず択一」みたいな派閥構成方法に則るならばもちろん猫であるのだが、犬も両立しうるかもと思うわけです。 犬の何が苦手である(あった)かというと、ずばり距離が近い!ってことなんですね。いや、ちょっと違うな、どちらかというと僕は距離が近い付き合いも生物全般(人間含む)において好きなのですが、相手から詰められると弱いのですよ。猫ならばこちらが近づいていって、なでなでしたり猫の気分が乗っているならだっこしたりできる。猫が寄ってくることは空腹時以外は滅多にない。しかるに犬は違う。オールウェイズ密着距離の強要であります。 相手がどんな美人(美しい人間という程度の意味です)であれ愛らしい犬であれ、その距離を詰めるのは主体的な私であって二人称であってはならないのです。俺こそがその距離を決める。なぜならばどうもコントロールできないものが怖い、という感じが僕の奥底でかなり強い電波を発しているからなのです。思えば小学生の頃、ニケツでチャリの後ろを担当した時もすごい怖かった。けど自分が運転しているときは大丈夫。天敵の飛行機も自分が操縦していると思えば、まだしも恐怖が薄れるのです。 しかしあのアンコントローラブルなお犬様!わたくしの顔を超ベロベロする「ゼロ距離」と、わたくしが腕を伸ばしてよしよしする「腕距離」についてはコントロールすることができるようになりました。その距離は俺が決める。この距離は完全に俺のコントロール下にある。すなわちコントローラブル・ドッグなわけです。至近距離であってもそこに程度の違いを見出してコントロールしたことにする、これは犬のコントロールに見せかけた自己コントロール術にほかなりません。やったぜ、自分。犬克服の瞬間であります。

OpenOffice3.2はCJK統合漢字拡張には対応せず?

やっぱり、OpenOffice3.2(on ubuntu10.04)では、ユニコードの拡張Bに属する文字は表示できないようだ。 [openoffice:6501] UnicodeのSurrogate Pair(Ext-B)対応の件 によれば、OpenOfficeがサロゲートペアに対応していないかららしい。 OpenOffice.orgは内部的にUnicodeで処理しているようですし、データ保存時にも Unicodeで記録していますが、現状ではSurrogate Pairに対応していません。 そのため、Ext-Bの漢字などを入力しても、正しく表示されません。WordやExcel でExt-Bの漢字入りのドキュメントを作成して、これを読み込んだ時も表示だけは されますが、Surrogate Pairを正しく処理していないため、通常に編集することが できません。 もちろん、現状においては、Surrogate Pairへの対応は緊要ではありませんが、  ・今後、日本国内での標準的文字コードとしてJIS X 0213の定着が見込まれている ・Windows環境などでJIS X 0213に完全対応するためにはアプリケーション側での  Surrogate Pair対応が必須  ・既にMac OS XはJIS X 0213完全対応を謳っており、Windowsも次期バージョンでの   対応が公表されている(Longhorn)  ・既にWindows XPやMS-IME2003やOffice2003はSurrogate Pairに対応しており、   JIS X 0213対応フォントさえあれば、Ext-B漢字を含めてすべてのJIS X 0213文字   を扱える  ・ATOK17/2005や次期一太郎(2005)もSurrogate Pair対応。来年2月の一太郎2005発   売時にはJIS X 0213対応フォントの無償公開が予定されている といった動きがありますので、おそらく2005年~2007年頃にかけてSurrogate Pair 対応が必要となってくるのでは?と思っています。 上記記述は2004年のものだが、2011年をもってしてもいまだ対応していない。このへんの技術的な理由はよく分からない。OpenOfficeの度重なる買収が関係しているかどうか。 Extens...

木簡学会編『木簡から古代がみえる(岩波新書)』

木簡学会編『木簡から古代がみえる(岩波新書)』(→ amazon )。木簡と古代史にまつわる話題を分かりやすくまとめたもの。16人の著者が短いトピックスを連ねている。歴史書から見える古代と、木簡から見える古代が違うというあたりが木簡の面白さなのだろう。日本語学にとっては、おなじみの歌木簡(なには津、あさか山の歌)などの話しあり。木簡によれば万葉仮名の完成が従来の説より古い、7世紀中葉とある。犬飼氏が書くトピックかと思ったらそうではなかった。さらっと読めちゃう古代史の本、ということもできるか。

久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』

久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)』(→ amazon )。タイトル強烈(笑)!ケーススタディ的な失敗体験談+ノウハウ集。話の構図は「ハコモノ行政で儲かるのは行政と土建屋、あと地域再生関係者は都市部の僅かな成功例を地方社会に導入して大失敗、だからコミュニティ志向のカフェとかスローフードとかやるといいよ」的なもの。で、その筋はあるある話だし、間違っていないので、読み潰せる話。 気になっていたのは極東ブログの書評(→ [書評]地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?(久繁哲之介): 極東ブログ )の以下を読んだから。 これで地域再生は可能になるだろうか。読後、私が思ったのは、この「使える」提言を「使う」ためには、地域コミュニティーが生き返ることが前提になるだろうということだ。それは鶏と卵のような循環になっている。提言が目指すものこそ、地域コミュニティーの再生だからだ。もう一点思ったのは、本書が言及していないわけではないのだが、この難問には地域における若者と高齢者の再結合が問われていることだ。地域の若者の現実的なニーズと高齢者のニーズをどう調和させるか。そしてその二者の背景にある巨大な失業の構造はどうするのか。問題の根は深い。 やー、読んでみてそういう理想郷的なコミュニティーって成立するかな、と思うよ。もちろんfinalventさんが言う生き返りの大切さも、宮台的な社会的コストの重要性という意味において分かる。でも、山形に住んでみて、僕がよそ者だということの要因もでかいと思うけれど、地域コミュニティーのある種の閉塞感てすごい感じる。排他的な意味、ではなくてね。山形にもたくさんの地域コミュニティーがあるよ。でも著者が書いているような、カフェやスローフードにつながりうるような文化的背景や厚みをもったコミュニティーというと、たとえば子どもでつながる地続きのコミュニティーとは別物なのですよ。子連れファミリーが作り出すコミュニティーはあるけれど、著者が言う地域再生ってそこがゴールじゃない。極東ブログは「鶏と卵」というけれど、そして「生き返る」という表現を使うけれど、その循環の輪が成立するのか疑わしいこともあるわけで。これはもう歴史的な蓄積の有無が決定しているようにさえ思えてしまうこともある。 で、それは打破できないのかというとで...

主に泣いてます(4)・Fantasium(7)

東村アキコ『主に泣いてます(4)』(→ amazon )がものすごいスピード感。トキばあとこももの(時にトキばあ単独の)コントが間(ま)という間を埋め尽くしていて、息を付く暇がない。よくもまあこれだけアラフォー狙いのコネタとキャラで埋め尽くせるものだと思う。『ひまわりっ』の終わりあたりの速度がここへきて加速している。そして全編ただよう水木しげる感は、天狗面の登場をもってつげ義春感にあらためて確定させていただきたいと思います。 杉本亜未『Fantasium(7)』(→ amazon )は、これっていい意味で分かりにくいだろうな、と他人事のように思った。で、ディスレレクシアの主人公が電子辞書を片手に文字を紙に書いていくシーンが、何かとても良かったよ。フレイレ系の研究者が、南米での事例報告をどこかでしてたのを思い出す。書き文字に基づく識字教育が持つ権威性と、ハードルの高さが、パソコンによって割合容易に越えられるという話だったと思う。現代社会にとっての読み書きとは何か、と。全能感にあふれた変な先生の登場とのすれ違いまくりな交流も、最初はどうだかなと思ったけど、今後が楽しみ。