山形から埼玉に引っ越してきて4年が過ぎた。大学生を1学年まるっと卒業させた形です。東北の感覚から関東の感覚へと少しずつアジャストしてきたが、東北の感覚はそれはそれとして自分を構成しているのであって、まるきり新しくなるわけでもない。 で、コーヒーです。元々コーヒーが好きだったところに、山形でサードウェーブの洗礼を受け、ライトローストの華やかなブームも体験した。美味しいコーヒー焙煎所はたくさん山形にあって、それは美味しいものに対して妥協しない山形の商習慣と消費者の鑑識眼がそこでも発揮されたものではあったけど、美味しすぎるコーヒーというのはやはり毎日飲むコーヒーには向かない。美味しすぎるとは曖昧な表現だが、つまり私が言いたいのは華やかなやつのことです。日々のコーヒーは水の延長みたいなところがあるので、これくらいがいい、という落ち着いた感じのやつがいい。 4年前、以前住んでいた家から徒歩30秒くらいのところにあるなじみの焙煎所に「埼玉でここほど好きな焙煎所が見つかるまで買い続けます」といって、結局4年間通販で買い続けていた。実を言えば、美味しい焙煎所は関東でいくつか出会っていた。でも、「これくらいが好き」というのはなかなかなかったし、「これくらい」でありながらクオリティに妥協がないというちょうど良さはもっとなかった。 前置きが長いんですけど、コロナによって流通が不活性化し、さらにはちょっと前に赤道付近ででっかい噴火があり、ウクライナ問題なんかもあって、コーヒーの値段が上がる。だから安いコーヒーも練習しておこうと思ったのですね。西友、ロピア、マミーマート。こういうご近所を支えるスーパーマーケットにも独自に工夫した500グラム400円くらいの信じられないくらい安い豆が売られている。 買った。試した。美味しかった。僕が求めている「これくらい」というののまさに「これくらい」だった。ただ、山形から取り寄せているものと飲み比べてみるともちろん焙煎所のやつは奥行きがある。奥行きという点ではスーパーのは劣る。しかしまずくはないんですよ。コンビニの500円のワインが実はなかなかいける、というのと同じ現象です。特別な日に開封するわくわくはないが、毎朝メールをチェックする前にコーヒー淹れようというには十分事足りている。 山形のコーヒーの頻度がたぶん下がる。そのことが少し寂しい。寂しいが、山形の
家族でNiziプロジェクトを見ているうちに、JYPが不思議と気になるようになって、先行してドはまっていた息子の影響を受けてとうとうTWICEに踏み込んでしまった。 Niziプロがそうだっただけかもしれないが、日本のエンタメにあるような後ろ暗い世界と地続きの諧謔が微塵も感じられず、うさんくさいまでのポジティブ展開に、ああこれが小野ほりでいが紹介していたインスタ世界なのか…と思った。折しもNiziU大好き芸能人が語り倒す番組で指原が彼女たちを巡る状況を「浄化」と表現していたのも、心から合点がいったのだった。 この手の話題に強い古い友人に話を聞くと、NiziUを入り口としてTWICEに参入する新規ファンは増えているとのことで、40代のおじさんがそこに1を加算することになった。 それにしても彼女たちというか、JYPも含んだあの人たちのことを好きと呼んでいいのか微妙な躊躇がある。一つは光り輝きすぎていることにたぶんひっかかっているのがある。韓国は日本と同じく儒教的な価値観を文化的地層に持っていて、よく言えば謙譲、悪くいえば自虐に機能するような感覚を持っていると思っていた。というか私が接してきた韓国人にはそういう感覚があった。JYPのあのポジティブさは相当計算し尽くされたものと思うが(と分析するあたりがいかにもTwitter民だが)、とはいえあれを激烈に受容していると思われる文化がどういう文脈を持つものなのかが感覚的に分からなくて戸惑う。ビルボードに打って出るためにアメリカ的な自己啓発めいたのが入っている、というのはそうかもとも思うが、安直な感じも否めない。 もう一つは、女性ののファンが非常に多く、というよりもTWICEが明らかに女性のための女性をやっているのに、自分がおいそれと立ち入っていいのかという戸惑い…。MVもなんというか女子校のノリで、ある種の女性が憧れてまねをしたくなるのもよく分かる、ところに自分がどういう目線でそれを見ていいのか、微妙な落ち着きの悪さがあるのよね…。音楽もダンスもかっこいいというのも分かるし、彼女たちにもJYPにも何らネガティブな感情はないのに、「好きです」と断言できる日が来るのか、もやっとしている。 息子曰く、sixteenというオーディションから彼女たちを見ていれば、ボクサーのごときストイックさと完全主義に打ちのめされるはずだとのこと。 も