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IS05、アプリ

IS05の使い勝手などについてのレポート。

【ハード編】

気に入っているのは小さいこと。片手操作ができるので以前の携帯電話のように扱える。それからモリサワ系のフォントが入っているためかとても文字が読みやすいし、画像も綺麗。極端に文字が小さい設定にしても、文字が潰れずに読めるのはすごい。重さはまあまあ。これでも軽くする工夫をしたのだろうと思わせるのは、本体の華奢さから感じられる。iPhoneなどは落としても表面が傷つくくらいだろうけれど、IS05は根本的に弱く見える。触感はおもちゃっぽささえある。だからカバー必須なのかもしれない。

良くない点ではタッチパネルの感度がiPhoneよりもやや甘い。設定により高めることができるが、そもそもが粗い。ややかさついた皮膚で触るとダメな部分がある。画面下部は片手持ちの場合どうしても親指の尖端で触ることが多いが、指のその部分が僕はやや乾燥しているので、丁寧にタッチしないと動かないことがある。もっともこれはそう大きな問題ではなく、ある程度の圧力とゆっくりさを気をつけることができれば快適な入力を行うことができる。

僕にとって、問題らしい問題はこれくらいか。電源の持ちが少ないことについてはandoroid全般で言われていることだが、使い方ひとつでどうにでもなる。Wifi、自動同期、GPSをオフにしておけば12時間以上は大丈夫。アプリがマルチタスク的に裏で動いていると減りが早いという問題などは、Automatic Task Killerなど、タスクキラー系のアプリで対応できる。

【ソフト編】

普段からgoogle appsを仕事で使う身としては、メールとスケジューラは必須中の必須。Google純正のgmailアプリ、スケジューラはジョルテ(ジョルテ公式ページ - ホーム)が使える。Google Reader、Picasa Tool、Google mapや音声検索などは言うまでもなし。今月純正のGoogle Docs管理閲覧アプリが出たのはめでたい(今のところ英語版だけだけどGDocs for Android)。論文はスキャン→PDF化してgdocsに置いているので、これは大変便利。それから以前も書いたけれどクラウド系のremember the milk、evernote、dropbox、sns系のfacebook、twitterがあれば、自分にとっての基本環境は完成する。

このほか、自分がいれているアプリを以下に列挙(なんとなく重要順、すべてフリー)。

  • Better Sleep→揺れを感知してスリープモードに入るのを妨げる。長文を読んでいるときにスリープさせない。
  • Easy Tether→すでに書いたので割愛。
  • twicca→twitter用のアプリ。
  • Chrome to Phone→PCで見ているサイトをスマホで表示させるアプリ。
  • Adobe Reader→ご存知。純正アプリがあるのね。
  • 日本のニュース→日本語ニュースサイトのRSSリーダ。
  • ウェザーニュース→付加機能の多い天気予報。
  • Bluetooth File Transfer→速度は遅いがPCとデータのやり取りをするときに。
  • FxCamera→トイカメラ、魚眼、ポラロイドの機能あり。
  • AndroXplorer→androidの中身が見れちゃうエクスプローラ。
  • Ustream→ユーストリームのアプリ。
  • 乗換案内→乗り換え案内のアプリ。
  • 青空文庫ビューア→青空文庫のアプリ。
  • 新華字典→中国語のピンインが知りたい時に。


それから、skype for auがおそろしく使えない。まともにかかった試しがない。まれにかかる時もあるが、音声も良くない。移動中などはほぼアウト。これだったら普通のskypeのほうが幾分かまし。使っている帯域が違うのかな。ただKDDIがskypeを標準アプリにしていること自体は評価したい(今年の11月までだそうだが)。

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