授業で、言語地理学の基礎を取り扱うときに出す、おなじみのLAJこと日本言語地図。毎年、「明日、明後日、の次を何と言うか」を話題にするのだが、今年はリアクションペーパーになんだか色々出てきたのでメモ。これまでの話題の出し方が悪かったのかな。
明後日の次(DSpace: Item 10600/386)は、ざっくりしたところでは、伝統的には東の国(糸魚川浜名湖ライン以東)は「やのあさって(やなさって)」、西の国は古くは「さーさって」それより新しくは「しあさって」。その次の日(DSpace: Item 10600/387)は、伝統的には東西どちらもないが、民間語源説によって山形市近辺では「や(八)」の類推で「ここのさって」、西では「し(四)」の類推で「ごあさって」が生まれる、などなど(LAJによる)。概説書のたぐいに出ている解説である。LAJがウェブ上で閲覧できるようになって、資料作りには便利便利。PDF地図は拡大縮小お手の物ー。
*拡大可能なPDFはこちら日本言語地図285「明明後日(しあさって)」
*拡大可能なPDFはこちら日本言語地図286「明明明後日(やのあさって)」
さて、関東でかつて受け持っていた非常勤での学生解答は、「あした あさって しあさって (やのあさって)」がデフォルト。やのあさっては、八王子や山梨方面の学生から聞かれ、LAJまんまであるが、ただし「やのあさって」はほとんど解答がない。数年前にビールのCMで「やのあさって」がちらりと聞ける、遊び心的な演出があったが学生は何を言っているのかさっぱりだったよう。これはかつての東国伝統系列「あした あさって やのあさって」に関西から「しあさって」が侵入して「やのあさって」は地位を追い落とされひとつ後ろにずれた、と説明する。「あした あさって やのあさって しあさって」は期待されるが、出会ったことがない。
山形では「あした あさって やなさって (しあさって)」と「あした あさって しあさって (やなさって)」はほとんど均衡する。これには最初驚いた。まだあったんだ(無知ゆえの驚き)!と(ただしLAJから知られる山形市の古い形は「あした あさって やなさって さーさって」)。同じ共同体内で明後日の翌日語形に揺れがある、ということは待ち合わせしても出会えないじゃないか。というのはネタで、実際は「~日」と具体的に指定するから会えないことはないだろう。近代社会では、3Dダンジョンよりも鳥瞰図マップのほうが好まれる由。
と思っていたら、リアクションペーパーからはもう少し多様な姿がたちあらわれた。
LAJでは明明明後日に、山形南部と北部に「さ(ー)さって」を記載する。ただ、かつての「あした あさって やなさって さーさって」の順序は崩れているどころか、ありえないくらいに後ろに追いやられてしまったケースも。話者の意識としては、敢えてそのつぎを言おうとすれば、であると。
この一件を見て思うに(思うにー)、語形同士のせめぎ合いによって明明明後日や明明明明後日(ややこしいな)が社会的な空室になっているのだなー。構造言語学でいう「あきま」(空き部屋はあるけど住人がいない)というやつで、ここにどんな住人が入るかは、昔ここに住んでた人か、都市部からやってきたプレステージ高いやつか、なのだろう。
明後日の次(DSpace: Item 10600/386)は、ざっくりしたところでは、伝統的には東の国(糸魚川浜名湖ライン以東)は「やのあさって(やなさって)」、西の国は古くは「さーさって」それより新しくは「しあさって」。その次の日(DSpace: Item 10600/387)は、伝統的には東西どちらもないが、民間語源説によって山形市近辺では「や(八)」の類推で「ここのさって」、西では「し(四)」の類推で「ごあさって」が生まれる、などなど(LAJによる)。概説書のたぐいに出ている解説である。LAJがウェブ上で閲覧できるようになって、資料作りには便利便利。PDF地図は拡大縮小お手の物ー。
*拡大可能なPDFはこちら日本言語地図285「明明後日(しあさって)」
*拡大可能なPDFはこちら日本言語地図286「明明明後日(やのあさって)」
さて、関東でかつて受け持っていた非常勤での学生解答は、「あした あさって しあさって (やのあさって)」がデフォルト。やのあさっては、八王子や山梨方面の学生から聞かれ、LAJまんまであるが、ただし「やのあさって」はほとんど解答がない。数年前にビールのCMで「やのあさって」がちらりと聞ける、遊び心的な演出があったが学生は何を言っているのかさっぱりだったよう。これはかつての東国伝統系列「あした あさって やのあさって」に関西から「しあさって」が侵入して「やのあさって」は地位を追い落とされひとつ後ろにずれた、と説明する。「あした あさって やのあさって しあさって」は期待されるが、出会ったことがない。
山形では「あした あさって やなさって (しあさって)」と「あした あさって しあさって (やなさって)」はほとんど均衡する。これには最初驚いた。まだあったんだ(無知ゆえの驚き)!と(ただしLAJから知られる山形市の古い形は「あした あさって やなさって さーさって」)。同じ共同体内で明後日の翌日語形に揺れがある、ということは待ち合わせしても出会えないじゃないか。というのはネタで、実際は「~日」と具体的に指定するから会えないことはないだろう。近代社会では、3Dダンジョンよりも鳥瞰図マップのほうが好まれる由。
と思っていたら、リアクションペーパーからはもう少し多様な姿がたちあらわれた。
あさって(明後日) やなさって(明明後日) しあさって (明明明後日)
あさって(明後日) しあさって(明明後日) やなさって (明明明後日) ささって(明明明明後日) *複数名
あさって(明後日) しあさって(明明後日) ささって (明明明後日) *複数名
あさって(明後日) ささって (明明後日) しあさって (明明明後日) *複数名
あさって(明後日) ああさって(明明後日) あしあさって(明明明後日) *1名
LAJでは明明明後日に、山形南部と北部に「さ(ー)さって」を記載する。ただ、かつての「あした あさって やなさって さーさって」の順序は崩れているどころか、ありえないくらいに後ろに追いやられてしまったケースも。話者の意識としては、敢えてそのつぎを言おうとすれば、であると。
この一件を見て思うに(思うにー)、語形同士のせめぎ合いによって明明明後日や明明明明後日(ややこしいな)が社会的な空室になっているのだなー。構造言語学でいう「あきま」(空き部屋はあるけど住人がいない)というやつで、ここにどんな住人が入るかは、昔ここに住んでた人か、都市部からやってきたプレステージ高いやつか、なのだろう。
コメント
さぼしとく、ってどういうこと?お初にお目にかかった。
さぼす、は軽く干す感じ。ちょっと着たセーターとか、クリーニングに出すほどぢゃないけどそのまんま引き出しにしまうのはなぁという時などに、ソファやベッドの上とかにファサッと広げておいたりしませんか、あれが「さぼす」です。あの動作をほかのコトバで何と言うかの方が自分には謎です。
他の言い方はなかなかなさそうですね。翻訳不可能な言葉はたくさんありますね。
出会わないので調べたことがある)蜻蛉日記にはびっくり。ちょっとうれしい。ありがとう! いま中日翻訳をあらためて通信講座で勉強していますが、翻訳いうのはおもしろいです。うふふ。謝謝のん!