翻訳という行為はほんと大変だろうなと思う。とりわけ専門書の場合は、専門家でない限り記述の意図するところを十全に理解して翻訳することなど極めて難しいだろう(いや専門家だってそうだ)。なかでも専門書は注釈を縦横無尽に駆使しているわけで、それを一つ一つあたって解釈して翻訳にあたっている訳者なんて存在するのだろうか?…とここまで書いてみてどのレベルの質を求めるかということで考えれば、翻訳の沙汰も金次第なのかもしれない。 niji wo mita: 未知の文字の推定法 で触れたマイケル・D.コウ『マヤ文字解読』の記述に引かれ、原注に載っていたGelb,Ignace J.1952 "A Study of Writing", University of Chicago Press.を取り寄せてみた。 僕が『マヤ文字解読』で興味を持った記述は、ざっと説明すれば、世界の文字は統計的に20-30の種類が使われていれば音素文字、40-90なら音節文字、それ以上あるなら表音文字ではない(表語文字を疑ってもよいという含み)というくだりである。もっとも、本書のあとのほうで一つの文字が複数に読まれたり(山を「サン」とも「やま」とも読むような)、逆に一つの音を複数の文字で書いたり(日本でも近代に至るまで変体仮名と呼ばれる一つの音節に複数の仮名が存在したような)するので厳密には言えないことだが、ざっくりとした推定としては興味深い考え方だなと思った。もしその統計結果が1952年の時点で書かれているなら読んでみたいと思ったわけである。 ところがゲルブの本には残念ながらそれについて概略的に述べている記述はなかった。であれば、上記の記述はゲルブの以下にみる統計データに肉付けをしてマイケルが独自に考えたことなのだろう。ゲルブの論調には、マイケルも述べているが、19世紀的な言語進化論的価値観の残滓が見られるようで、表語文字が表音文字に進化するのだというパースペクティブのもとで文字の種類が縷縷述べられるばかりであるように読めた(前後数ページを読む限りでは)。ただし、『マヤ文字解読』に紹介される対照表の元になる表は"we may refer to a chart (Fig.60) showing statistically the relationship of word...