スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

モーリー解説中に逝く

podcast探索中に出会ってしまった。モーリーさん、最近どうしてんのかなあと思ったら。 3:55あたりからおかしくなるモーリー。しかも4:25あたりから番組そっちのけでキてしまっている。最後は「宇宙に抜けそうな気がする」発言のまま何かが崩壊して終了。素敵だなあ。

娚の一生

西炯子『娚の一生』(→ amazon )、2巻まで。いやーこれは、ふんふん。単純に面白いと思ってしまう36歳ですが、詳細を紹介する気にはなれん。僕は女性ではないんであれですが、ランキング上位に挙がるのは分かる気がする。まあ、なんやかんや言っても、ロマンチックラブイデオロギーが語られているのだが、切り口はそうではないな。結婚はそういうもんじゃないだろう、という否定形による語りでもない。mixiニュースで紹介されていた、30代後半女性をターゲットにした、というより90年代後半におしゃれ女子でした、という層を撃ちまくり、との記事を思い出す。そうですか。 なお、タイトルは「娚」を「おとこ」と読ませる。今昔文字鏡では「めおと」と訓じる。大漢和にはそのような訓を生ずる解釈はないし、学研漢和大字典には立項自体がない。だからといってこれ以上調べるのもバカバカしいのだが、手書きタイトルでは旁の「男」が大きく表記されていて、いろいろ深読みしたくもなる。

言うた矢先にですで

そんな午前を迎えたら、午後は午後で学生が発表直前にUSBのデータをすっ飛ばしましたよ、っと。USBの中身にあるはずのフォルダ名やらファイル名やらがすべて文字化けして、タイムスタンプが2185年とかだった。vistaでスキャンして修復したら、9割くらいきれいに掃除されてしまって、おかげさまで肝心のファイル群はすべてなくなってしまった。どーしてくれんだよ、vista、お?で、大騒ぎして、結局自前のパソコンにデータがバックアップされていて、よかったよかった。常日頃データはバックアップしてあるほうが本体!USBのはあくまでも出先機関!と口を酸っぱくして伝えていたことが奏功した、ということにする。

勝手に再起動を止める

windowsの自動更新&勝手に再起動機能によって、書きかけの文書が消失。学生にはレポート類の提出間際によく文書が消失するトラブルが起こるから、保存はこまめにと言っておきながらですからね…。しかも消えたのは学生が書いた卒業研究へのコメント集だったという皮肉。これまでも勝手に再起動によって、作業が中断されてうんざりしたことは何度かあったけど、未保存の文書が消失した経験はなかった。さすがに今回の出来事できちんと設定を変えることにした。 「更新プログラムを自動的にインストールする(推奨)」をやめて、「更新プログラムを確認するがダウンロードとインストールを行うかどうかは選択する」に設定を変更。それだけ。デフォルトで再起動ありってユーザーに対してひどくない?

降雪後の晴天

自宅から歩いて出勤。たった30分なのに、車生活に慣れると遠いかもって思い込んでた。 圧雪(あっせつ)のところは歩きやすいけれど、氷がむき出しになっているところは要注意、ってところは車と同じ。車が通らないところを歩くのは、普段と違った風景の発見があっていいよね。 自転車の轍を発見して驚く。スリップしたら橋の欄干を越えて、厳寒の河の中へ落下するぞ…。が、雪の日の高校生はコートもまとわず(高校生的にはコートはカッコ悪いらしい。地域ごとの美意識の発露)、果敢にチャリをこぎ、そしてたまに豪快にこける。怖くないのか、と思うが僕にはわからない雪の日の常識があるんだろう。

かいじゅうたちのいるところ

「あなたの中の子どもへ-『かいじゅうたちのいるところ』公開を前に」(→ 2010-01-14 - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE )を読んで、この映画は絶対に見なければならないだろうなと思った。できれば子どもを連れて行こう、と思う。退屈で飽きたらそれはそれで。 Weekly Teinou 蜂 Woman: どんな子どもにも金の冠を捧げるべきなのです。 でも私にはくんなかった!(新宿ピカデリー!) 経由で上記エントリを知ったのだけど、映画自体はスパイク・ジョーンズに興味があったので知っていた。また原作は子どもが生まれてから「大人が読ませたくない絵本」として名高い、と幼児教育畑の同僚から聞いて購入して読んでいた。僕の家の中には、子どもの教育に明らかに悪影響を与える、とされるものが山ほどある。僕自身が読んでいるものを知られることが気恥しいので読まれることを良しとはしないが、こういうものにもいつか興味を持ってもらえたら少しうれしいかも、とも思っている。 思い返して欲しいが、誰だって子どもの頃親や先生をはじめとした大人から理不尽な扱いを受けて暴れたくなったことがあるはずだ。そんな葛藤や怒りを「なかったこと」にする大人をセンダックは軽蔑している。 上記エントリではこのように述べられている。なかったことにできるはずがない。なかったことにして誰かと対話することなどできるはずがない。だからアソビさんのサイトでのオンくんの話を見ると、アソビさんのことを心底すげえなあと思ってしまうのだ。僕にはそれを貫くことができるだろうか? 親バカの僕は恥ずかしげもなく言うが、上の子ども(下の子どもは未知数)は突然変異と思えるほど優しくナイーブな何かを持っている。それが東京から山形に至るまでの、僕と別々に暮らした体験や、僕抜きでの僕の実家暮らしなど、特殊な体験が追い込んで作った、という側面的責任から逃げるつもりはない。この優しくナイーブな何かを抱えて成長するのは決して楽観的に捉えられるものではないし、僕や妻がある種の盾や鎧とならなければならないことは確かだろう。そして、三つ子の魂ではないが、この優しくナイーブな何かから子どもが完全に自由に生きることはないだろう。たぶんだが、上記エントリを読んで、また原作を読んで、子どもに好ましくないとされるいくつかの描写が子どもを助けてくれ...

出張中

盛岡→遠野→一関(イマココ)。雪深きみちのく。岩手に来る時はなぜか岩手ご出身の某研究者の論文を片手にしている。服部四郎の音韻論に若干の修正を加えて解説するもの。服部音韻論は「表層の音形を最も合理的な形に解釈して確定する」ことを目指したとされる。したがって表層の音声観察にも高い厳密さが目指された、との由。挙例含め、示唆多き論文。