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ビー玉の語源

ビー玉の語源はビードロ(ガラス)の玉である旨を授業で紹介したら、学生のリアクションペーパーに異説が記されていた。曰く、A玉とB玉というのがあって、規格品外のB玉がラムネの瓶に入れられたことが語源であるという。 初めて聞いたわと思ってネットで見てみると、そういう説は確かにある。結論から言えば、典型的な民俗語源というやつで、言語学的な根拠はない。シアサッテの次を4の理解でゴアサッテと言うにひとしい現象だが、B玉というのもなかなか面白いケースだと思う。少し前にちょっとワル風のファッション・外見をした人のことを指してB系ということがあった。ほどなくしてオタク風のファッションをした人のことを、秋葉原のAを取ってA系ということもあった。範列のパターンで言葉が作られる例といえる。 ラムネ瓶の製造、ビー玉遊びの歴史などの経緯は、 ビー玉の語源を追い求めて - 最終防衛ライン2 に詳しい(文化史的に大変面白い記事でした)。なお、文献の初出例は日本国大辞典第2版によれば、夏目漱石『明暗』(1916)に見られるとのこと。

岩城けい『さようなら、オレンジ』

率直に言って、仕事をやりすぎて言葉がぼけた。もう数年そんな状態の気がする(年なのかも知れないが)。ブログを一生懸命書いていた頃は、もっと言葉をうまく探り当てて並べることができたんじゃないか。こういうふうにはなりたくない、という不可逆的な力をうすうすと感じながら、日々少しでも抗う気持ちでいます。 岩城けい『さようなら、オレンジ』を読んだ(→ amazon )。得体のしれない小説を読んだ。いや、物語の装置は僕には馴染みの深いものばかりで、これを書いた人は第2言語習得についての研究をどこかでかじったことがある人に違いない。あるいは識字の持つポジティブ/ネガティブな力について、一度ならず圧倒された人であると思う。サピアもウォーフも出てくる。言葉を習得するということはその暴力的な、どうしようもない力に蹂躙され、破壊され、そのあとで別の新しい自分に新生することだ。少なくとも言語学習の持つ見逃せない一側面として、そういうふうに人間を変えてしまう力がある。言葉が、異文化が「生産」するのは、そういうものだ。ごく簡単にいえば、この小説は言葉のそういう側面を題材にしている。 アフリカから難民としてオーストラリアにやってきた女性が重要な登場人物で、彼女の眼から語られるように物語は進行するが、小説的なトリックも仕掛けてあって、それも素晴らしい。ここで書かれていることはその題材を元にした、熱量の高い、得体のしれないことで、個人的な言い方をすれば、言葉の復調を促す感じがするのだけれど(もう一度読んでみないとそのあたりがうまくつかめない)。 読後、ちょっと頭がぼんやりするくらいインパクトを受けた小説だった。

陳腐な

セレンディピティといったら、さぞ陳腐に思われるだろう。人の苦しみや悲しみに触れることで、何かが回復されてしまうこと。全く残酷なこと!

君の勝利は僕らの勝利

非常勤先へ向かう道々、毎度すれ違うスーツ姿の女子大学生がいる。10月頭から連続4回。スーツに身を包んではいるけれど、髪もボサボサで全般的にその方向ではなかなかゴールが見えない感じ。お化粧もそれじゃダメだ。表情もできていない。 人文学部かな。理学部、かもしれない。いや、理学部の女子なんかはきっと却ってバシッと決めているかな。我らが文学部にもたくさんいたかも知れない、社会的スキルがちょっと残念で、でもお勉強はできたタイプかもしれないな。オタク趣味で内向的で、社会に対する不安と侮蔑の感情を持ち合わせていて、でもリアルに空想に、自分の部屋に教室に、図書館に本屋に、喫茶店に体育館の裏に、駅のホームに校舎の影に居場所を求めていたり、そして概ね居場所が見つからなかったり。 そういう意味で、君はたぶん僕であり、僕らだ。そういう意味で、シューカツはクソだよ。でも自分の次の居場所を作っていける大切なイベントでもある。心から成功を祈らずにいられない。君の勝利は僕らの勝利である。

HTC Butterflyに有線で外付けキーボード

5月頃にスマートフォンを IS05 から HTC J butterfly HTL21 に変更した。Androidは4.x以降がデフォルトで動くハードはもうappleに遜色ない、というか製品によっては現状ではスペックが上。マップをはじめgoogleの恩恵に浴している身としては大変便利な思いをしている。IS05でも有線テザリング(自己責任で)をやってはいたけれど、正式にサービスに加入した。出先でもiPad、Thinkpadがつながるのでモバイル無双な生活である。 そうして約4ヶ月が過ぎた。出先でPCを立ち上げテザリングをonにして仕事をしたりする。あるいはご近所のモスとかで論文を書いたりする。するとスマホ自体で書き物ができたら楽なのになーと思い始める。外付けキーボードですか。でもiPadでさんざチャタリング問題に苦しんだし、高速タッチに追いつかないというそもそも問題もある。ワイヤレスキーボードを持ち歩く夢の便利生活はもうちょっと未来の世界に。 とか思っていたら、有線外付けキーボードというまさかの発想にネットで遭遇した。同じくHTCの環境である(→ スマフォ:HTC J Butterflyに、有線キーボード/マウスを接続する )。これ本当に高速タッチに追いつく世界なのかなと半信半疑でありつつも、金額もそう張らないので実験的に購入してみたところ、これが大当たり。PCで入力しているのと変わりがない。ほとんど、ではなくそのもの、である。 これはすごい。Dropboxに作業中のファイルをぶっ込んで、というか日常的に使うファイルはすでにぶっ込まれているので、そのままスマホでお仕事ができる…そういう環境が今後どれほど頻繁に出てくるかはまだ分からないが。 ショートカットキーが使える! で、キーボードを接続してみると、普段PCで使うようなショートカットを手が覚えていてつい使ってしまう。これが!使えるのですよ。 Ctrl+C Ctrl+V Ctrl+X Alt+Tab→これは特に感激 その他、F7でカタカナ、なども行ける 一方、だめだったのが以下。 Ctrl+Z Ctrl+Alt+Del その他、アプリによっては対応するものとしないものがあるかもしれない(→こちらにいくらか紹介されている。 Android Bluetoothキーボード ショートカットのまとめ Nex...

日没後の峠で

ご近所の峠で日没を見ながら。

ポストモラトリアム時代の若者たち

村澤和多里・ 山尾貴則・村澤真保呂『ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 』(→ amazon )読了。ちょっとグッと来たのでレビュー。 大学を「モラトリアム」と揶揄しようとして「サナトリム」と呼んだ人に最近出会って、なんだかこの人の中では大学は何かを猶予されている病棟のように映っているのだなあと思ったことがある。本書をざっくり説明すると、そういう風に見ようとする視座も分からなくはないけれど、でもそう見えているのだとしたらそれって学生の本質的な無気力によって生まれたものではないよね、と教えてくれる本。 本書の話の枠組みは、(1)フォーディズムのもとで農村=自然から都市=社会に組み込まれていく段階、自己変革の猶予段階としてのモラトリアム論から、(2)消費社会まっただ中では自己も消費されてしまうので自分探しとしてのモラトリアムが横行、(3)ポストフォーディズムでは(2)とは逆に、新自由主義のもとで自分を商品化に装っていく(≒意識高い自分を演出)ための猶予期間であり、そこにはまっていけない学生にとっては不安に蝕まれて病的段階を進行させていくような期間、とされる。 こうした若者をめぐる情勢の変化が、グローバリゼーションに向かう社会の変化、そして社会学の研究者が近年あちこちに触れるようになったギデンズの「再帰性」をキーワードとして説明される。資本主義社会の総括的な視点で、若者の心性の変化を僕のようにざっくりと整理したい向きには良い入門書かも。 学生の就活に関わるくだりは、大学業界に関わる人間なら誰しもわずかの痛みをもって本書を読むだろうと思う。あの空虚な自分史作り、就活に向けた目的論的な自己の物語。自分はそういう自分になるために育ってきたという閉じたストーリーと、インターンシップやキャリア教育で励むことになる着脱可能なペルソナ作り。職場で役立つ汎用的能力や高い意識をどう身につけてきたかという、薄っぺらな語り。 もちろん過当競争が生じている現状、即戦力型人材を求める雇用形態下、すなわち雇用側も経済的に安穏としていられない状況では、そのあたりはアシキリにも用いられないくらいに最低限な「前提」とさえ認識されているだろう。現代の学生にとってのモラトリアム期間は、その論理を内面化するための文字通り命を削るような作業期間でもある。その良し悪しは単純...