実家に戻って、子供とアニメのドラゴンボールを見ている。親子で同じアニメ体験を持つっってことは、この半世紀で初めての世代なのではないかと思う。とかいう話ではなくて、悟空がスーパーサイヤ人になったときに、ほとんどステレオタイプ化された欧米人になっていることを、誰か指摘しているだろうか。
スーパーサイヤ人の特徴といえば、髪が金色になって逆立つことのほかに、瞳が青色になる、肌の色が赤みを帯びた白になることなどが気づかれる。心なしか鼻の形もシャープになって先が尖っているようにも見える(この画像ではそうでもない?)。といってもこれは彩色されているアニメ版での話で、漫画原作のカラー原稿などのことは知らないし、アニメ版は回ごとの作画担当によって絵も微妙に違うだろうから、厳密にはそう言えない部分もあるだろう。しかしおおむねにおいて、金髪で碧眼で鼻が高いという特徴は、結果的にステレオタイプ化された欧米人=アングロサクソン系を表象してしまっていることは、まず疑いがないように思える。


スーパーサイヤ人が登場する、ドラゴンボール(Z)のナメック星編はwikipediaによれば、1989~1990の放映だそうで、ちょうどこの時期は「ナメック星編が佳境に入る頃には、『ドラゴンボール』の人気および経済効果は、国内のみならず世界的な規模に拡大していた」とのこと。となれば、世界に打って出る戦略として、ヒーロー性を担保するキャラクター作りを考えることは、あったのではないかと深読みの1つもしたくなる。
一般的に言って、アニメのような創作物のキャラクター作りには、現実世界の文化的序列などがステレオタイプ化された上で、刻印されるものだ。言語面におけるこのステレオタイプ化を指摘したのが、金水氏の「役割語」だった。そう考えてみると、スーパーサイヤ人に変身した悟空が突然「オラ」口調から「オレ」口調に変わるのも、戦略としてはよく分かる。本当に強くて格好良くて正義の裁定者たる主人公は、「お調子者で守銭奴」「力持ち」な関西人であってはならないし、「男気だけが妙に強い」九州人でも、「田舎者で素朴」な東北人であってもならず、首都圏の「洒脱さと権威」を表象する関東標準語話者でなければならない(このくだり、マジかよと自分でもツッコミを入れつつ)。ちなみに普段の悟空は素朴な田舎者設定であり、一人称「オラ」に分かるとおり東北弁に似た言葉をしゃべらされている。そう考えてみると、外見上の変化と関東標準語話者への変化は、軌を一にしたものであって、都会の欧米アングロサクソン系がヒーロー性を担保していると、どうしても考えたくなってしまう(話は横に逸れるけれど、日本の漫画やアニメはこうした言葉のコード差をきわめて効果的に使っているので、海外に輸出されたときにどのような言語の違いとして翻訳されているんでしょうね)。
もちろんこうしたレトリックは、登場人物の多くがアジア人であるところで、ホントのヒーローだけが欧米人である、という差異がズゴンと効いていると考えられるわけである。つまり何が言いたいかというと、最初から登場人物たち、少なくとも主役が欧米系である、実写版ハリウッドドラゴンボールはこのレトリックを使うことができない、ということである。といいつつ、主役の人はそれほど欧米という感じでもないわけだが。
オチが見えなくなってきたところだが、アジア人が成り上がってアングロサクソン系に変身するとすごくなるというのは、人種進化論の焼き直しみたいで、それが売れまくっているのはほらまだ19世紀を我々は生きているってことじゃん、とそれはさすがに自分でも牽強付会に過ぎるだろうなと思いつつ、力業でまとめてみる。ともあれ親子で楽しめるしー。
スーパーサイヤ人の特徴といえば、髪が金色になって逆立つことのほかに、瞳が青色になる、肌の色が赤みを帯びた白になることなどが気づかれる。心なしか鼻の形もシャープになって先が尖っているようにも見える(この画像ではそうでもない?)。といってもこれは彩色されているアニメ版での話で、漫画原作のカラー原稿などのことは知らないし、アニメ版は回ごとの作画担当によって絵も微妙に違うだろうから、厳密にはそう言えない部分もあるだろう。しかしおおむねにおいて、金髪で碧眼で鼻が高いという特徴は、結果的にステレオタイプ化された欧米人=アングロサクソン系を表象してしまっていることは、まず疑いがないように思える。


スーパーサイヤ人が登場する、ドラゴンボール(Z)のナメック星編はwikipediaによれば、1989~1990の放映だそうで、ちょうどこの時期は「ナメック星編が佳境に入る頃には、『ドラゴンボール』の人気および経済効果は、国内のみならず世界的な規模に拡大していた」とのこと。となれば、世界に打って出る戦略として、ヒーロー性を担保するキャラクター作りを考えることは、あったのではないかと深読みの1つもしたくなる。
一般的に言って、アニメのような創作物のキャラクター作りには、現実世界の文化的序列などがステレオタイプ化された上で、刻印されるものだ。言語面におけるこのステレオタイプ化を指摘したのが、金水氏の「役割語」だった。そう考えてみると、スーパーサイヤ人に変身した悟空が突然「オラ」口調から「オレ」口調に変わるのも、戦略としてはよく分かる。本当に強くて格好良くて正義の裁定者たる主人公は、「お調子者で守銭奴」「力持ち」な関西人であってはならないし、「男気だけが妙に強い」九州人でも、「田舎者で素朴」な東北人であってもならず、首都圏の「洒脱さと権威」を表象する関東標準語話者でなければならない(このくだり、マジかよと自分でもツッコミを入れつつ)。ちなみに普段の悟空は素朴な田舎者設定であり、一人称「オラ」に分かるとおり東北弁に似た言葉をしゃべらされている。そう考えてみると、外見上の変化と関東標準語話者への変化は、軌を一にしたものであって、都会の欧米アングロサクソン系がヒーロー性を担保していると、どうしても考えたくなってしまう(話は横に逸れるけれど、日本の漫画やアニメはこうした言葉のコード差をきわめて効果的に使っているので、海外に輸出されたときにどのような言語の違いとして翻訳されているんでしょうね)。
もちろんこうしたレトリックは、登場人物の多くがアジア人であるところで、ホントのヒーローだけが欧米人である、という差異がズゴンと効いていると考えられるわけである。つまり何が言いたいかというと、最初から登場人物たち、少なくとも主役が欧米系である、実写版ハリウッドドラゴンボールはこのレトリックを使うことができない、ということである。といいつつ、主役の人はそれほど欧米という感じでもないわけだが。
オチが見えなくなってきたところだが、アジア人が成り上がってアングロサクソン系に変身するとすごくなるというのは、人種進化論の焼き直しみたいで、それが売れまくっているのはほらまだ19世紀を我々は生きているってことじゃん、とそれはさすがに自分でも牽強付会に過ぎるだろうなと思いつつ、力業でまとめてみる。ともあれ親子で楽しめるしー。
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