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木簡から探る和歌の起源

犬飼隆『木簡から探る和歌の起源 「難波津の歌」がうたわれ書かれた時代』(→amazon)読了。昨年出土して騒がれた「難波津」「あさか山」の両面歌木簡について「国語学」による位置付けを試みつつ、万葉集編纂から古今和歌集あたりまでの「うた」から「和歌」までの見通しを考察したもの。本書では、人々の間に取り交わされた素朴な「うた」が典礼用の「歌」となり、それが平安時代の和歌につながっていく、との仮説に基づいて、7~8世紀の木簡を歴史の中に位置づけようとする。

いわゆる啓蒙書なので読みやすいが、学会内輪ネタとかもあって興味深い。内輪的によくある「文学対国語学」のなかなかかみ合わない論戦のところは、個人的に懐かしい味わいがあった。物証にこだわる「国語学」からすれば、木簡のような物証そのものこそが学問的手法の原動力たり得るので、文学に対する舌鋒はキレッキレである。犬飼氏の主張は、韻文の表記は一字一音式は訓字主体式に先行するとのこと。文学の連中は木簡も見ずに紀記万葉、風土記の類だけで上代語るなよコラという図式である。が、なんというか上の世代の論争だなという印象を受ける。若い世代は改組改編の津波後の世界を生きているので、そもそも文学と「国語学」はとっくに手を組んで、むしろコミュニケーションとか表現とかメディアの人たちを仮想敵とした同盟を結んでいるのだ(嘘)。

閑話休題、本書の筋道と別のところでもっとも興味深かったのは、木簡にあらわれる万葉仮名は「記紀万葉とはことなる使用層を示し、発音の清濁を万葉仮名の字体で区別して書かない」(p.111)、「上代特殊仮名遣いの区別もずさん」(同)という記述である。犬飼氏は平城京東院西辺出土の一部のものを除き、7~8世紀の木簡には同様の傾向がみられるとする。そしてその理由を、歌が書かれた木簡は典礼などで口頭に読まれたあとは捨てられる一回性のものだったため、とする。万葉集が「晴」の様相であれば木簡は基本的に「褻」の様相であるというわけである。

この違いを表記態度の違いと見るべきか、口頭言語における規範意識の違いと見るべきか。たとえば仮名のように清濁を書きわけないシステムは、あくまでも表記の問題であって当時の人たちが清濁を分けずに発音していたわけではない。しかし上代特殊仮名遣いは、発音上の区別が失われるとされる平安期よりはるか以前に曖昧になっていたということになるのかどうか。あるいは帰化人系など外国語に接する機会のある人間が特に音に対して敏感であり2種類の母音を聞き分けることができたが、一般人は区別できなかったという説を補強することになるのかどうか。あるいはやっぱり表記上の問題で、耳では聞き取れるが初騎乗に表せないだけだったのかどうか。犬飼氏の前著も積んであるので読まないと、と思う。

コメント

昨日はども! さんのコメント…
>そもそも文学と「国語学」はとっくに手を組んで、むしろコミュニケーションとか表現とかメディアの人たちを仮想敵とした同盟を結んでいるのだ(嘘)。


本当じゃないっすか(笑)
っていうか物証中心主義は中央/地方、富裕/貧困、社会的地位有り/無し、という階級的断線を活性化しているといえましょう。我々田舎の職持ちはそのマージナルなあたりを誠意を持ってフラホワし続けねばならんのですねえ。決して村山文化の似非活性化などに寄与することなく。
NJM さんの投稿…
コメント、ども。昨日はこちらこそ。

フラホワの正体が分からずに検索かけまくりでしたが、なんです、バンド名?それともフラフラホワホワの意味?やっぱり意味の中核には言葉があるんですよ(ねーよ)!もう文脈なんかからは完全に独立した言葉のための言葉が。だから「国語学者」は辞書を引け、と。

でー、物証中心になれない地方はかつ貧困かつ社会的地位なしは、失われた日本のユートピアを見出して金では買えない品格としての地位を得る、というシナリオでしょうか。

ともあれ、「マージナルなあたりを誠意をもって」つうのは、腹が定まっていないと厳しいもんですよね。いや、それが誠意ということか。

また飲みましょうね。

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