カーレド・ホッセイニ『カイト・ランナー』(→amazon)を読了。学会の宿を会場から遠いところに置いたので、2日間の移動中に読み終えた。翻訳は2006年が初版。原作は2003年、アメリカの911テロが2001年である。アフガニスタンからアメリカへの移民である著者がこのタイミングでこの小説を書いたことは、テロ後の世界へのメッセージと読むことができるだろう。

前評判どおり、感動的な作品ではあった。まだソ連侵攻の戦火に塗れる1978年以前と、2002年の「現在」を横断して物語は進む。描かれているモチーフはアフガニスタンの裕福な家庭で育った主人公と、その召使いとの友情、裏切り、秘密と贖罪である。王政の古き良き時代が共産時代を通じて破壊され、共産時代なき後の覇権争いで割拠した軍閥、その後のタリバンにつらなる現代史に翻弄されて、スンニ派とシーア派が民族問題と重なり合いながら憎しみあう。文化様式を誇りの拠り所としながらも時にそれに捕らわれて足元を救われる。そうした大文字の装置のなかで徹底的な絶望を体験しながら、それでも普遍的な価値を諦めないところに希望を見出そうとするのが本作品の見どころだと思う。前半の美しいアフガニスタンと、後半の荒廃したアフガニスタン(らばQ:あまりの違いに驚愕、アフガニスタンの首都カブールの40年前と現在を比べた写真)の対比の中で主人公が重苦しい人生をわずかに前に進める様子が胸を打った。本作は映画化もされている。映画に向いているだろうなと思いつつも、小説の抑制した感じ、最後までじりじりと坂を登りつづけたまま終わる感じが失われていないかが心配だ。
この小説の背後に描かれているアフガニスタンの歴史は、僕のように中東事情に疎い者には、世界史のような俯瞰図視点よりもある人物の当事者目線の方がよく伝わる。僕は、本書を読んでアフガニスタンのことが身近に思ったし、身近に思えば好意を持つところまであとすぐだ。冷戦の時代に翻弄された苦難の歴史を人間の普遍的なテーマで描いた本書は、ベストタイミングでアメリカでもずいぶん売り上げたようだ。テロ後の世界で、この本は少しでもムスリムへの偏見緩和に役立っただろうか。そう願わずにはいられない。
それにしても、こないだ読んだ1960年代の話もそうだけど、僕らは冷戦の時代を生きていたんだなあと思う。米ソの対立の狭間に生きていた。米ソ対立の構図を決定したのは、第2次大戦というか日本が体験した核で、そして僕らははだしのゲンを見た。なぜ僕の母が「台湾」人なのか。なぜ同僚が「韓国」人なのか。当たり前のことだが僕らも歴史の当事者なのだなあ。ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊するさまを特段の感慨もなく当時は見ていた。歴史の結節点を体験していたのだなあということが、ぞぞぞっと押し寄せてくる感じ、時々あるでしょう、皆様も。
前評判どおり、感動的な作品ではあった。まだソ連侵攻の戦火に塗れる1978年以前と、2002年の「現在」を横断して物語は進む。描かれているモチーフはアフガニスタンの裕福な家庭で育った主人公と、その召使いとの友情、裏切り、秘密と贖罪である。王政の古き良き時代が共産時代を通じて破壊され、共産時代なき後の覇権争いで割拠した軍閥、その後のタリバンにつらなる現代史に翻弄されて、スンニ派とシーア派が民族問題と重なり合いながら憎しみあう。文化様式を誇りの拠り所としながらも時にそれに捕らわれて足元を救われる。そうした大文字の装置のなかで徹底的な絶望を体験しながら、それでも普遍的な価値を諦めないところに希望を見出そうとするのが本作品の見どころだと思う。前半の美しいアフガニスタンと、後半の荒廃したアフガニスタン(らばQ:あまりの違いに驚愕、アフガニスタンの首都カブールの40年前と現在を比べた写真)の対比の中で主人公が重苦しい人生をわずかに前に進める様子が胸を打った。本作は映画化もされている。映画に向いているだろうなと思いつつも、小説の抑制した感じ、最後までじりじりと坂を登りつづけたまま終わる感じが失われていないかが心配だ。
この小説の背後に描かれているアフガニスタンの歴史は、僕のように中東事情に疎い者には、世界史のような俯瞰図視点よりもある人物の当事者目線の方がよく伝わる。僕は、本書を読んでアフガニスタンのことが身近に思ったし、身近に思えば好意を持つところまであとすぐだ。冷戦の時代に翻弄された苦難の歴史を人間の普遍的なテーマで描いた本書は、ベストタイミングでアメリカでもずいぶん売り上げたようだ。テロ後の世界で、この本は少しでもムスリムへの偏見緩和に役立っただろうか。そう願わずにはいられない。
それにしても、こないだ読んだ1960年代の話もそうだけど、僕らは冷戦の時代を生きていたんだなあと思う。米ソの対立の狭間に生きていた。米ソ対立の構図を決定したのは、第2次大戦というか日本が体験した核で、そして僕らははだしのゲンを見た。なぜ僕の母が「台湾」人なのか。なぜ同僚が「韓国」人なのか。当たり前のことだが僕らも歴史の当事者なのだなあ。ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊するさまを特段の感慨もなく当時は見ていた。歴史の結節点を体験していたのだなあということが、ぞぞぞっと押し寄せてくる感じ、時々あるでしょう、皆様も。
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