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友だち申請のときはメッセージを(笑)

最近、FBとかで「友だち申請の時はメッセージを付けましょう」みたいな標語がシェアで回ってきて、軽く不愉快になるわけです。またそういうくだらないルールを、世間の既定路線であるかのような顔して押し付けてきやがって、と。礼儀とか常識とかを作り出すんだか、ネット社会に持ち込むんだかして、ネット社会をどんどん住みにくくするのは止めやがれ、と思うこともままある。

しかしFBが大学生のための限定的なSNSでもなくなった昨今、また世界中に広がった昨今、各地でアダプトされれば各地の土着的風習が新しいSNSを下方から侵食するのも、文化史的には広く見られる現象です。逆にいうと、そうした土着的風習を受け入れることで新しい文化がアダプトされる、と解釈されるわけです。マスに受け入れられればマスなりの新しい「マナー」がうまれ、多様化もするのでそれにしたがうのがおとなというものでしょう(この段落はぜんぶぼうよみです)。

思えば、メールの文化も35字程度で改行って誰がマナーとか言い出したんでしょうね。知らんけど。というツッコミはものすごく大人げないのだけれども、現象学的還元として「 」にくくってアホかと言いたい衝動です。

と、ヨソのルールをアホ呼ばわりしたい一方で、スポーツ系の人たちに「それはマナー違反」とか胸を張って叫びたい衝動もあります。東北のこの近辺でエライ顔してるスポーツ業界の先生から、仕事がらみで書類を送れとの指示をいただいたのですが、その返信は一言「受け取りました」。

ほお。

以前、スポーツ系教員で上方向のタテ関係にすごく丁寧で、下方向にはおそろしくぞんざいという逸材を見かけたことがあったので、もしかしてこれはスポーツ系教員の風習かと思って、この世で一番信頼出来るスポーツ系教員のひとに電話かけて「いつもこうなわけ?」とか聞いたら「ごめん、いつもそう」とのお返事をいただく。そういう習俗ですか。でも、普遍化するのは早くない?と思っていたら、本日別件で別の人かつスポーツ系のひとに書類出したら、同じく「受け取りました」とシンプル・イズ・ベストなリプライをいただいて、先般とは異なる音色での「ほお。」が発声されたところ。

世界は広いっす、でアホがアホを指さす無限後退。でもFBでは黙って友だち申請。まだいいでしょ。

コメント

りえぞー さんのコメント…
ほお。
きみの顔が見える気がするよ。
ご無沙汰してます。私にもわかる話題でつい反応してしまいました。
しかし、スポーツ系の人ってものが、周りにたくさんいらっしゃるものなのね。
NJM さんの投稿…
やあ。コメントの遅い僕です。お久しぶりすぎて鼻血が出ました。

でもね、やっぱり「すべき挨拶」なんてのは言うもんじゃないと思っていますよ。わがままだけど。

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