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一瞬ぐうの音も出ない朝

うちの職場には寮があって、そこでは日本人学生と留学生が相部屋で暮らしている。なにぶん地方社会は牧歌的で地域外のことに関心を持ちにくい環境であるため、留学生は「日本人ってこんなに外国のことを知らないんだ!」とショックを受けることがこの時期の恒例で、ある種独特な5月病に似た状態に陥ることもある。 「韓国ってコンビニあるの?」「台湾にビルってある?」「台湾ってロシアの北?」「韓国って雨降るの?」みたいな豪速球がびゅんびゅん飛び交う中、「台湾って中国の一部だよね」「韓国って北朝鮮と関係があるの?」など歴史・政治的にギリギリ(いやはっきりか)アウトかも、みたいな質問が純情で素朴な興味としてふわっと出てくる。留学生も悪意がない分、やり場のない思いにどうしようもなくなるらしい。いやー。異文化衝突の初期段階ではあるけれども!そしてアメリカの田舎に留学した日本人学生がショックを受けた話なんかも負けないほどたくさんあるけれども! とにかくものすごく彼ら彼女らが落ち込んでいるのをフォローするのも仕事なわけだけど、そして悪気はないんだからとフォローにならないことをフォローしてみて、一方で「無知と悪意は根本的にはつながっている」というテーゼが身に染みたりする。という話を朝っぱらからサマオクとかましていたら、「それを怒らずに受け止めるのが知性じゃね?」と言われてぐうの音も出ない朝。ワンクッション置いて、「手がつけられないほど怒り散らして見せるのも知性でいんじゃね?」と返せなかった思いを今ここに。

メモ。 「最初のアットマーク(@)は1536年」:@の歴史 | WIRED VISION 。書物の書写作業の中で生まれたとされる。日本の写本にも同様なものは見られる。

東南アジア風カレー

二日酔い明けにどうしても東南アジア風カレーが食べたくなって、自分で作ることにした。ずいぶん昔に、妹から教わったものを、記憶を頼りに、どうにか。出来は手前みそ的に上々。 1. にんにく2かけ、生姜1かけをすりおろし、バターで炒める。 2. 玉ねぎ3個をすりおろし、1に混ぜて炒める。 3. 火を止めて、カレー粉(市販のパウダーか、好みの調合で)を大匙2をよく混ぜる。 4. 出来上がったカレールーは取り置く。 5. 具を炒める。今回は、鶏肉、ニンジン、ジャガイモ。 6. 鍋に5を移し、牛乳を具材が隠れるくらいに目分量で。 7. カレールーとプレーンヨーグルトをお椀1杯くらい。 8. レモングラス(バイマクルー)を3本くらい。 9. 具材に火が通るくらい煮込めば出来上がり。 どのへんが東南アジア風かというと、レモングラスが入っているところ。これがないと、インドっぽいままでおしまい。市販パウダーにはトウガラシが入っているので、子ども向けにするために多めにヨーグルトと牛乳を入れたが、子どもにはやや辛かったようだ。スパイスを調合してくれるところは山形にはなさそう。 もう一皿は、鶏肉ときゅうりのサラダ。

高速道路が安いとかいうのの経済効果

なんか国道13号走ったら、県外ナンバーがすごい多くて。関東、関西、九州まで!しかも13号の下りが、おびただしいヘッドライトのうねりを作りだしていて、これは山形では西バイパスにマクドナルドが初めて作られた時以来の渋滞ではないかと思われる(知らんけど)。そしてなぜか反射的に口ずさむ音楽、テーレーレー、テーレーレテッテテー♪の正体は、はたと気づけば、西部警察のテーマなのだった。 近所の乳牛のアイス食わせるところに行ったら、1000円でここまで来ちゃった!という千葉出身の方。どんどん山形にお金を落として行ってね、という百戦錬磨の野菜売りのおばちゃん。そして対照的にJRは競争力を維持するために、もっと安い新幹線のプランを出さなきゃいけないと思うよと語る俺。関西まで5000円くらいで往復できるようになるといいと思うよ。飛行機速いけど揺れるから最悪だからね。時間・速度で負けるJRは、安価な陸路で売るという道筋しかないと思うよ。そうすると科研費の経費内訳の多くに旅費を組み込んでいる人は大幅に金額を削減することなって、ひいては財源に余裕ができてもっとたくさんの人がもらえるようになるよ!それがいいと思うよ!これぞ自己中心型経済理論だと思うよ!

ひとを分けるものつなぐもの―異文化間教育からの挑戦

佐藤国衛・吉谷武志編『ひとを分けるものつなぐもの―異文化間教育からの挑戦』ナカニシヤ書店(→ amazon )をダラダラ読了。帰国子女、外国人配偶者など、文化的多様性における「つながり」についてのフィールドワークからの提言。対話が関係性を変えることの実例が、丁寧に記述されていて、久しぶりに質的研究の醍醐味を堪能した。 こないだ水村氏の本(→ amazon )を読んで、「正しく豊かな日本語」の戦略的使用(→ niji wo mita: 戦略としての「正しく美しく豊かな」日本語 )などと書いたが、それを金科玉条のようにして旗振りをするつもりもない。学習者が置かれた網目のような社会的関係性のなかで、それが戦略的に用いられるかどうかは、その都度、決められるはずだ。といった思いを、いまさらながら強くした。 ところで、これまた先日書いた niji wo mita: 「向こう側」と「こちら側」 のフォローとして、国立特殊教育総合研究所『発達障害のある学生支援ガイドブック―確かな学びと充実した生活をめざして』(→ amazon )をざっと見たけど、よく出来てるなあ。障害って病気じゃないから治るものでもないわけで、だとするとミクロで見れば対話、マクロでみれば制度的な話としてどう向き合い、関係を構築するかという次元の話になるわけで、多文化理解マターであるように思われる。この件はいずれ。 ともあれ、話は戻って、僕にとっては質的研究の何がいいって「いろいろあるから、いろいろ対話して、いろいろ関係作ろうよ」が好きかなー。自分が量的研究だから隣の芝生に見えるのかもだけど。何も考えないタイプの保守論調「ここは日本だから」みたいに刀一本しか持たない人が気の毒で気の毒で。

自転車

ゴールデンウィークとて暇なわけでもないのだが、かねてから約束していた自転車を子供に購入した。公園で3時間程度練習したら突然乗りこなせるようになって驚く。自分の場合を振り返ると、保育園のうちに補助輪つきに慣れて、小学生で補助輪なしへの移行は相当苦労したので。それだけの話。 今朝、清志郎の訃報を聞いた。ミュージシャンとしてよりも、自転車乗りとして興味を持っていた。合掌。