佐藤国衛・吉谷武志編『ひとを分けるものつなぐもの―異文化間教育からの挑戦』ナカニシヤ書店(→amazon)をダラダラ読了。帰国子女、外国人配偶者など、文化的多様性における「つながり」についてのフィールドワークからの提言。対話が関係性を変えることの実例が、丁寧に記述されていて、久しぶりに質的研究の醍醐味を堪能した。
こないだ水村氏の本(→amazon)を読んで、「正しく豊かな日本語」の戦略的使用(→niji wo mita: 戦略としての「正しく美しく豊かな」日本語)などと書いたが、それを金科玉条のようにして旗振りをするつもりもない。学習者が置かれた網目のような社会的関係性のなかで、それが戦略的に用いられるかどうかは、その都度、決められるはずだ。といった思いを、いまさらながら強くした。
ところで、これまた先日書いたniji wo mita: 「向こう側」と「こちら側」のフォローとして、国立特殊教育総合研究所『発達障害のある学生支援ガイドブック―確かな学びと充実した生活をめざして』(→amazon)をざっと見たけど、よく出来てるなあ。障害って病気じゃないから治るものでもないわけで、だとするとミクロで見れば対話、マクロでみれば制度的な話としてどう向き合い、関係を構築するかという次元の話になるわけで、多文化理解マターであるように思われる。この件はいずれ。
ともあれ、話は戻って、僕にとっては質的研究の何がいいって「いろいろあるから、いろいろ対話して、いろいろ関係作ろうよ」が好きかなー。自分が量的研究だから隣の芝生に見えるのかもだけど。何も考えないタイプの保守論調「ここは日本だから」みたいに刀一本しか持たない人が気の毒で気の毒で。
こないだ水村氏の本(→amazon)を読んで、「正しく豊かな日本語」の戦略的使用(→niji wo mita: 戦略としての「正しく美しく豊かな」日本語)などと書いたが、それを金科玉条のようにして旗振りをするつもりもない。学習者が置かれた網目のような社会的関係性のなかで、それが戦略的に用いられるかどうかは、その都度、決められるはずだ。といった思いを、いまさらながら強くした。
ところで、これまた先日書いたniji wo mita: 「向こう側」と「こちら側」のフォローとして、国立特殊教育総合研究所『発達障害のある学生支援ガイドブック―確かな学びと充実した生活をめざして』(→amazon)をざっと見たけど、よく出来てるなあ。障害って病気じゃないから治るものでもないわけで、だとするとミクロで見れば対話、マクロでみれば制度的な話としてどう向き合い、関係を構築するかという次元の話になるわけで、多文化理解マターであるように思われる。この件はいずれ。
ともあれ、話は戻って、僕にとっては質的研究の何がいいって「いろいろあるから、いろいろ対話して、いろいろ関係作ろうよ」が好きかなー。自分が量的研究だから隣の芝生に見えるのかもだけど。何も考えないタイプの保守論調「ここは日本だから」みたいに刀一本しか持たない人が気の毒で気の毒で。
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