とりあえず埼玉の実家に戻って、日帰りで山形に。実家は何を思ったか業者にもろもろをお願いしなかったばかりに、僕と妹2人で案内状作成と各方面へのアポ取りとで忙殺された。横には一睡もしていなかったためにうつらうつらとする父と、薬をガバ飲みして辛気臭い顔をしている母。合間に原稿の校正を速達に突っ込みつつ、妹も仕事の締め切りを片手にこなしながらの、大車輪。101歳で大往生の祖母は東の部屋にひっそりと眠る。1906年生まれで、明治大正昭和平成ヘイヘヘーイを駆け抜けたバイタリティの持ち主でもある。お線香の横で、というか祖母の遺骸の真横で一人、いや二人か?黙々と案内状を作った。
まあお婆ちゃん子は三文安いと言われるように、何か詰めの甘い僕である。昨日無理をして混雑しまくった最終に乗り込めば死に目にも会えたなと思う。道すがら、乗り継いだ大宮駅のホームの端っこに、珍しく喫煙コーナーが設置されていて、いかにも東北本線な感じの利用客がモクモクと煙を立てて煙草を呑んでいた。これはかつて何度も見たような光景。ひと時代、ふた時代、あるいはそれ以上昔の残景。僕は確かにそれを見た。何やら妙に薄暗い彼らの活気が、煙草を呑まない祖母の空気に重なって、動揺した。
落ち着くまでもう少し。
まあお婆ちゃん子は三文安いと言われるように、何か詰めの甘い僕である。昨日無理をして混雑しまくった最終に乗り込めば死に目にも会えたなと思う。道すがら、乗り継いだ大宮駅のホームの端っこに、珍しく喫煙コーナーが設置されていて、いかにも東北本線な感じの利用客がモクモクと煙を立てて煙草を呑んでいた。これはかつて何度も見たような光景。ひと時代、ふた時代、あるいはそれ以上昔の残景。僕は確かにそれを見た。何やら妙に薄暗い彼らの活気が、煙草を呑まない祖母の空気に重なって、動揺した。
落ち着くまでもう少し。
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