野間秀樹『ハングルの誕生 音から文字を創る』(→amazon)読了。平凡社新書すげえなあ。今時の新書のボリュームが米国的ファストフードだとしたら、こっちは満漢全席じゃねーのと思ってしまうくらいの食べごたえがあった。言語学者(→野間秀樹研究室archive)としてハングルの歴史を追ったものだが、芸術家(→Hideki Noma's Art Works)?としての側面がただの表記の歴史に骨格を与えているように思えてならない。読み応えがありすぎ。

全7章構成のうち、第1章~第3章までが言語学を背景とした、ハングル誕生の歴史的経緯、ハングルに仕組まれた工夫。ハングルが音素音韻論・音節構造論・形態音韻論の三重のレイヤーからなると説明するあたりは、特に面白かった。第4章から最終章までがエクリチュールとしてのハングルについて述べたもの。文字の線そのものから、詩や散文にまで話が及ぶ。言語系研究者と文学系研究者が手を結ぶとしたら、こういう形になるのがひとつの完成形なのだろうなと思ったところで、亀井孝『日本語の歴史』(→amazon)へのオマージュとしても読めるかな?と思った。
それにしてもこの本に書かれている、やや大仰とも読まれ兼ねないロマンティシズムは、誤解を恐れるが、漢字中華圏体験を持つ文化でなければ十全に味わえないのではないかと思った。漢字中華圏の周縁に位置する、たとえば我々日本であるからこそ、その磁場から離れようとして自前で新しい文字を創るロマンを共有できるのではないか。「師匠がなくとも誰でも自分で理解できる文字」がめざされたということ。自分たちの声が(表語文字ではなく表音文字として)きちんと表記できるということ。ハングル誕生を記した『訓民正音』刊行の翌年に刊行されたという、王朝叙事詩『龍飛御天歌』がハングルで書かれたことを紹介した上で、筆者は「これは歴史の中で、未だかつて誰も目にしたことのない、朝鮮語の〈書かれたことば〉であった。どうだ、漢字漢文で、これが書けるか。」(p.218)としている。本居宣長?国粋主義的である?まあそう言わないで。誰のための文字か、という問いは、主義を越えるものが。
付録の文献一覧と索引(用語解説付き)が圧巻すぎ。こういうのも新書の概念に含まれるんですかね。
全7章構成のうち、第1章~第3章までが言語学を背景とした、ハングル誕生の歴史的経緯、ハングルに仕組まれた工夫。ハングルが音素音韻論・音節構造論・形態音韻論の三重のレイヤーからなると説明するあたりは、特に面白かった。第4章から最終章までがエクリチュールとしてのハングルについて述べたもの。文字の線そのものから、詩や散文にまで話が及ぶ。言語系研究者と文学系研究者が手を結ぶとしたら、こういう形になるのがひとつの完成形なのだろうなと思ったところで、亀井孝『日本語の歴史』(→amazon)へのオマージュとしても読めるかな?と思った。
それにしてもこの本に書かれている、やや大仰とも読まれ兼ねないロマンティシズムは、誤解を恐れるが、漢字中華圏体験を持つ文化でなければ十全に味わえないのではないかと思った。漢字中華圏の周縁に位置する、たとえば我々日本であるからこそ、その磁場から離れようとして自前で新しい文字を創るロマンを共有できるのではないか。「師匠がなくとも誰でも自分で理解できる文字」がめざされたということ。自分たちの声が(表語文字ではなく表音文字として)きちんと表記できるということ。ハングル誕生を記した『訓民正音』刊行の翌年に刊行されたという、王朝叙事詩『龍飛御天歌』がハングルで書かれたことを紹介した上で、筆者は「これは歴史の中で、未だかつて誰も目にしたことのない、朝鮮語の〈書かれたことば〉であった。どうだ、漢字漢文で、これが書けるか。」(p.218)としている。本居宣長?国粋主義的である?まあそう言わないで。誰のための文字か、という問いは、主義を越えるものが。
付録の文献一覧と索引(用語解説付き)が圧巻すぎ。こういうのも新書の概念に含まれるんですかね。
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