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影のある居住空間と大きな大きな机

栃木の妹夫婦の家で一泊二日。両親と、もう一人の妹夫婦も来ていて、実家で久しぶりに集合するかのようなのんびり加減(写真は義弟二人)。クラフト系の妹夫婦が農家を改築した家なのでそこここにこだわり未満の作りがあって、とにかくいるだけで気持いい。居住空間の気持よさに対して僕はほとんど無頓着なのに、ここまで何がアピールするんだろうと思う。

ひとつ言えるのは、家の中の暗さだろう。古い農家に入ったことがある人ならすぐ分かると思うが、日本の農家はとにかく暗い。現代の家に住む我々はその暗さから脱出すべく、採光窓を大きく作り、照明装置で余すところなく照らし出す空間を作ったので、建物の中にあまり影を見ない。その気持よさと安心?は、この気持よさとは明らかに逆。偏頭痛持ちは光が苦手なので、僕だけがそう感じているのかも知れない。

夕方でこの暗さ。実際はもうちょっと明るいかな。写真に出てくるこの暗さは、写真を見ていても(僕は)気持いい。手前の垂れ下がっている布は梁に吊るしてあるハンモック。夜、子どもを妻と寝かしつけながら、曇りガラスが張ってある格子戸から隣部屋の柔らかい光が薄く差し込んでくるのをぼんやりと見た。

写真は、家の外側に暑さ対策として立てかけてあるヨシズ。夜、外から見た様子なのだが、子どもが寝ていた部屋から見ていたのと似た雰囲気。こういう光はなんともいいなあ。

もう一つ、この家から刺激をうけるのが、居間にある大きな机。たたみ2畳分くらいか。以前訪れたときに書いたように(niji wo mita: 連休にサービス)、妹夫婦が北京にいたときに建て壊した家屋の廃材(門)をもらってきて、大きな机としたもの。で、これくらい大きな机があると、4人くらいが荷物を取っ散らかしても十分余裕を持って仕事ができるのね。子どもの勉強部屋とか作らないで、こうやってデカイ机でみんなで勉強したり仕事したりしても面白いかも、と思う。

持ち家とか持ちたいとは全然思わなかったのだけど、これはけっこう心が揺れるものがあるな。

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