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言葉の価値的な側面について

日本語学の授業、山形の言葉を終えて、地域言語のバリエーションについてのテーマは終了。

このところ日本語学の授業では、言葉の価値的な側面よりも、観測できる側面で言葉を取り扱うことが多かったので、「~方言はこうでー」「~方言は××方言とは通じなくてー」と言葉を客観的に取り扱えるモノのような感覚で捉えてしまっていた。でも日本語概説は言語学より(というか国語学より)の授業だし、自分もそういう教えを受けてきたので自然と語り口がそうなっちゃうんだよね。

本日の授業で学生から、先生は山形の方言をバカにしていると思いますといった旨のコメントをいただき、おおっと、と思う。そういうつもりは毛頭ないんだけど(というのと同じレベルで愛しているわけでも毛頭ない)、でもそういう語りになっていることが学生にきちんとバレた。その人にとってアイデンティティと分かちがたい言葉は着脱可能な軽いものじゃない。だから実験材料のように語り得ることが自尊意識に触ることは十分あり得る。もちろん、逆に、郷土愛と言葉が分かちがたく結びついていること(つまり土俗ナショナリズムの言語的な姿)への客観的な視点を持つ意味では、学生の言葉も、学生だからそこは学んでおこうということはある。でもそういう授業じゃなかったからなあ。言葉と価値の問題は別の授業でのネタ。でも説明はしておかないとと思った。

そういえば昨年、また別の学生と日常の会話をしているときに、「方言調査って何か馬鹿にしている感じありませんか?」と聞かれたことがある。そんときも、おおっと、と思った。

いわゆる言語のプレステージの問題もあるかもしれない。「東京から来た」「大学教員」が(本当は山形で大学教員になったんだけどね)教壇から山形を語ることへの反感があるとしたら、言葉の持つ社会的な側面の証左だよね。方言調査法の問題として語られることがある、ネイティブが調査者だと答えてくれやすいけど東京から来た調査者だと好意的に答えてくれない問題とか。どのみち、価値の問題をちゃんと話せるいい機会かもしれない。

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