荒木飛呂彦『奇妙なホラー映画論』を読んだ(アマゾンにリンク貼るのやめる)。荒木がホラー映画を好きなのは、作品を見ていればオマージュだかパクリだかのオンパレードなので、誰でも知るところだと思う。そんな荒木がホラー映画をたくさん見ました!ということがよく伝わる。量が質を上回る時があるとしたら、やっぱり量が質に転化するときしかありえないなあと思ったよ。つまり量は量でしかないってこと。それから、この人は演出の専門家なのであって、良い編集者に巡りあえて初めて作品が作品たり得たんだなあってこと。つまり浦沢直樹と本質的には同じ箱に入る人。
本はそれなりに目を引く所があるけれど、なんかもうダメだあ、って思う時ってあるでしょ。荒木がベタぼめする『プレシャス』という映画を、超絶偶然のタイミングで奥様が借りてきたので一緒に見た。これをホラーとして傑作と位置づけるのは、もう荒木作品読めなくなっちゃうくらいにダメだった。この人は演出のことだけを考えて、大家になっちゃったんだなあ。だったら演出家に徹してくれほうがよかった。『プレシャス』だって演出の特異さ(があるとして)に言及すればよかった。この本はホラーの演出については面白いけれど、時折見せようとする「ホラー映画本質論」については完全失敗している。
僕はそのむかしスティーヴン・キングが好きだった。荒木も好きだと書いているけれど、その好きは全然違う好きだったんだなあと思ったよ。確かに『IT』とか『ドロレス・クレイボーン』とか出てこないもの。それは「読みの違い」として処理できた。でもゾンビの本質と併置される語り方に『プレシャス』を掲げて、「これは誰がどういおうとホラー」とするのは、もうあかん。この人のマンガはもう読めないかも。
本はそれなりに目を引く所があるけれど、なんかもうダメだあ、って思う時ってあるでしょ。荒木がベタぼめする『プレシャス』という映画を、超絶偶然のタイミングで奥様が借りてきたので一緒に見た。これをホラーとして傑作と位置づけるのは、もう荒木作品読めなくなっちゃうくらいにダメだった。この人は演出のことだけを考えて、大家になっちゃったんだなあ。だったら演出家に徹してくれほうがよかった。『プレシャス』だって演出の特異さ(があるとして)に言及すればよかった。この本はホラーの演出については面白いけれど、時折見せようとする「ホラー映画本質論」については完全失敗している。
僕はそのむかしスティーヴン・キングが好きだった。荒木も好きだと書いているけれど、その好きは全然違う好きだったんだなあと思ったよ。確かに『IT』とか『ドロレス・クレイボーン』とか出てこないもの。それは「読みの違い」として処理できた。でもゾンビの本質と併置される語り方に『プレシャス』を掲げて、「これは誰がどういおうとホラー」とするのは、もうあかん。この人のマンガはもう読めないかも。
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