宮城県登米市(登米市 - Wikipedia)という場所がある。「とめし」と読む。市内には登米町がある。「とよままち」と読む。「登米」に対して、2つの読みがあるのが疑問だったが、先日出張で訪れた際に地元の方にその理由を伺った。結論から言えば、元々地元では「とよま」だったが、余所から来た人たちが誤読して「とめ」になったという。余談だが、我らがwikipediaによれば奈良時代に「遠山(とおやま)」と呼ばれていた地名が「とよま」になったとか。同じく「登米町」の項目を見ると、さらにその語源はアイヌ語の「トイオマ(食べられる土)」とか。
登米市中心地に、町並みを明治大正風にアレンジした観光地がある。その一角を占める旧水沢県庁跡を頻繁に訪れていた中央の役人たちが文字に引かれて「とめ」と読んでしまい、それが国や県の指定する読み方に採用されてしまったとか。ホントかな?でも、「県立登米高校」は「とめこうこう」で、「町立登米中学校」「町立登米小学校」は「とよま」だというので、なるほどと膝を打ってしまう。
名付けの歴史的経緯はともかくとして、文字に引かれてことばが変わることは、「おほね」から「大根」(だいこん)が生まれたり「をこ」から「尾籠」(びろう)が生まれる、という国産の漢語誕生のエピソードなんかを思い出す。地名で言えば、台湾の「高雄」の曲折に思い当たる。地元先住民がタカオと読んでいたものに、植民地日本が「高雄」という漢字をあて、解放後の中華民国が北京語読みの「カオシュン」とした、といったことなど。探してみれば、地名改変の話は日本国内にも津々浦々ありそうではある。
登米市中心地に、町並みを明治大正風にアレンジした観光地がある。その一角を占める旧水沢県庁跡を頻繁に訪れていた中央の役人たちが文字に引かれて「とめ」と読んでしまい、それが国や県の指定する読み方に採用されてしまったとか。ホントかな?でも、「県立登米高校」は「とめこうこう」で、「町立登米中学校」「町立登米小学校」は「とよま」だというので、なるほどと膝を打ってしまう。
名付けの歴史的経緯はともかくとして、文字に引かれてことばが変わることは、「おほね」から「大根」(だいこん)が生まれたり「をこ」から「尾籠」(びろう)が生まれる、という国産の漢語誕生のエピソードなんかを思い出す。地名で言えば、台湾の「高雄」の曲折に思い当たる。地元先住民がタカオと読んでいたものに、植民地日本が「高雄」という漢字をあて、解放後の中華民国が北京語読みの「カオシュン」とした、といったことなど。探してみれば、地名改変の話は日本国内にも津々浦々ありそうではある。
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