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仮面シンポジウムW(ダブル)

方言研究会と日本語学会に。

方言研究会(→日本方言研究会)では「21世紀の方言使用」というシンポジウム。心理療法の現場、医療現場、法廷の現場、それぞれにおける方言の役割が論じられた。医療と法廷は、どちらも方言の積極的利用を認めようとするもので、ダイグロシア社会における高位変種=標準語への異議申し立てを下敷きにした議論だった。70年代的な方言復興の文脈で言えば、ありかなしかでいえばありだろう、とちょっと意地悪な言い方をしてしまうが、ほぼダイグロシア的状況がモラルとして定着してしまった現代社会に揺さぶりをかける意味合いでは、有意義な提言だとは思う。しかし、その異議申し立てがカウンターとしての方言覇権主義であっては困る。標準語権威主義へのカウンターが「方言を使おう」では、そのすぐ後ろにさらなるカウンターとして「標準語を使おう」が控えている。いかに方言中心社会に見えていても、言葉への距離の取り方はどこまでも多様であるわけで、だとしたら提言の形は100歩引いて「方言も使えるようにしよう」であり、10歩引いて「相手への向かい合い方によって言葉を使い分けよう」であり、一歩も引かない地点では「相手を見て向かい合おう」でありたい(べき論を離れたらもっと気持ち悪い言い方になった)。

僕は「戦略的に方言を使う」はあり得る立場を取るけれども、方言を使えばその「あたたかみ」で「相手との距離が縮まる」という言説は、基本的に人間をなめとるな、と思う。僕ら言語学者がときおり見失いがちなのは、標準語であっても「あたたかみ」を交換することはできるし、方言であっても「冷淡な感じ」を与えることができる、というごくごく当たり前のことだ。

そういう意味では、(なんとなく会場でのウケがあまり良くないように感じられた)心理療法の現場の話は、腑に落ちるところが多かった。方言を使うと距離が縮まるように感じられるが、縮めすぎると関係がおかしくなりがちであると。

日本語学会(→日本語学会 — 2010年度春季大会のご案内)のシンポジウムは、C会場「日本語学を社会にひらく─われわれの研究は社会にどう受け入られているのかー」を拝聴。パネリストのかたの話が、テレビ業界と出版業界を事例とした日本語研究者のプレゼンス向上に軸をおいていたので、けっこう業界裏話みたいな話ではあったけれども、面白かった。プレゼンスの話は、社会貢献ではなく、高等教育機関における日本語学の枠を確保しよう、という大変生臭い話である。話の帰結は「ギョーカイ」で売れれば社会的認知は上がるが、「ギョーカイ」に利用されないためのしたたかさも必要だよね、というところ落ちそうになったけれども、最後に研究者でないかたが「文法学とか意味ないし。そんなのなくても問題なくしゃべってんだから、お前ら余計なお世話だよ」と発言されたこともあって、シンポジウムに目立たないくらいに散らばっていた、研究成果をもっと真面目に教育に役立てるべき、という裏テーマが一瞬で前景化した。文学(→頭が良くならない勉強を モリオカ三行日記(ブログ)/ウェブリブログ)でも心理学(→子どもの遊び! 心理学は簡単だという誤解の発達上のルーツ: レビューとホンヤク)でも、呼吸をするようにしていることなんて研究の意味あんの?との問いかけに、真剣に向かい合わないとね。その意味では、方言のシンポジウムは、やっぱりもう少しクリティカルな視点が欲しかったと思う。

懇親会(大変苦手である)には、人生2度目の出席。とある論集にお声がけいただいていて、本も出たのに、お礼を申し上げるチャンスがずっとなかった。お詫び方々御礼できてよかった。学会会場では話しにくさ炸裂であるけれど、懇親会はそうでもないのだなあ、と今更そんなことを理解してるんですかとのそしりも辞さない構え。学会で如才なく挨拶回りをする人を揶揄するような年齢ではとうにないのだし、きちんと関係を構築して前向きな何かを作っていくのも、自分への責任のとりかたの一つかなあと思う。こういうナイーブさは噴飯である、とするナイーブさ。

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