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標準語の方が言葉の規範性が高いように思う

加藤重広氏「標準語から見る日本語の方言研究」(『日本の危機言語―言語・方言の多様性と独自性』,北海道大学出版会,2011所収)を読んだ。「標準語の背後に強い規範性があり、その規範性が書き言葉を基盤にしていること」によって、標準語の話者のほうが音声主体の方言話者よりも強い規範性を持つのではないか、という指摘が興味深い。ここで具体例として挙げられているトピックスのひとつが「二重ヲ格制約」といって、「花子が太郎をグラウンドを走らせた」と言えないというおなじみの話。だが、形態上の格を表示せずに「花子が、太郎、グラウンド走らせた」なら言えてしまう。また本書によれば二重ヲ格制約がゆるいケースはいくつかの方言で観察されるという。話を端折るが、要は書き言葉、およびそれを基盤とする標準語では形態上の格を常に表示することが正しいと思われるために、二重ヲ格制約が強い制約として現れるのではないか、という指摘である。
書きことばは書き手が客体化してモニターしやすいだけでなく、論理的たらんとする不断の圧力を受けている。重複表現に過敏に反応するのはその象徴的な例であるが、書きことばと最も親和性が強く、書きことばの規範性に強く影響される標準語の場合は、書きことばの規範性が運用や適格性判断にも直接反映することを指摘したいのである。(p.252)
これには共感を持って首肯できる。端的に、山形と東京の人を比べると、ある意味では東京のほうが細かい言葉の使い方に異様にうるさい、と感じることがあるからである。ある意味というのはたとえば山形でもそういう局面に出くわすことはあるが、「周縁こそ中央の権威性が過剰に働く」ことによってそれが現れることがあっても、層が違うように思うからだ。このことは、書きことばに日常的に接することができる社会階層が、その地域のどれ位を占めているかという産業構造、所得と社会階層も含めたナイーヴな問題にも直結しており、標準語と方言が地政学的な力に大きく影響を受けているということでもある(言葉にうるさい「文化人」が都市部に集中しているのも同じ)。もっとも、東京の人のほうがうるさいかどうかは僕の周辺数メートルの人間関係でのことだから根拠を持って言えることではない。しかし標準語で考える文法性判断ではアウトなことが方言で言えてしまうこと、について書きことばの規範性の影響を考えることは大アリだと思う。

もうひとつ思うのは、逆に、文法性判断(筆者の言葉で言えば適格性判断)そのものがどうやって成立しているか、ということだ。言ってみれば制度としての書きことばが文法性判断に影響を与えている方向ではなく、生得的である含みで語られることの多い(ように専門外の僕が思う)文法性判断そのものが相当に構築的な性質を持つものではないか、ということだ。というのはあまりにラディカルな議論で学問的ではないが、そのような考え方は検討されても良いのではないかと思う。

余談だが本エントリのタイトルをniji wo mitaふうにいえば「東京は言語圧が高い」となるだろう。ある人にとってはそれが苦しい。しかし一方でそれが東京を支えているのかもしれない。

(追記)

一つ思い出した。「先日山に登ったんですけれども、~」の「けれども」は、本来逆接だから使うべきではないというお説を伺った。文筆家の方だった。トピックの「けれども」として談話的には大変使い勝手がいいので、機能性が高い。しかし原義に戻って批判するというのはよくある話。

古い友人からも「書かせていただきました」について疑義を呈されたこともあった。原義からしてへりくだりすぎということだろうか?「書きました」で良いではないか、というがライトな謙譲表現としてはこれはとても便利。

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