HUNTERxHUNTER27巻。単行本で読むとあの緊張感は薄れるものの、描こうとしているテーマの輪郭が少しみえてきたような。冨樫は幽遊白書とレベルEで、人間じゃないものとの、桃源郷的な社会共生を描いた。登場人物目線で「敵と分かり合う」というテーマは漫画の定番だけど、目線が社会にあるのは少なくとも当時の少年漫画にはあり得ないテーマで、どこか新しい感じがした。ハンターのヨークシン編やGI編でも、社会目線の目新しさはなかったにせよ、主人公たちと対立する登場人物たちとはそれなりに分かりあい、その調和の中で主人公たちの関係も保証されていた。
しかし蟻編では人間とキメラアントたちとは(ある価値観を共有できたとしても、集団としての背景が異なりすぎて)共生できない現実を描こうとしている。物語的決着の帰趨も気になる所だが、もし冨樫が蟻編でそうした根深いディスコミュニケーションを描こうとしているのならば、いよいよこれまで何度も伏線が張られ続けてきたキルアとゴンの関係に話の焦点は本格的に移るだろう。人間対蟻と、ゴン対キルアの関係は並行して、両者は相互に比喩的に、どちらもディスコミュニケーションの物語として語られるだろう。
ディスコミュニケーションの物語自体は、1995年の『寄生獣』連載終了、1997年『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』のあたり、20世紀最後の匂いがする。ただし、かなりあてずっぽうに言うが、その匂いは主にエヴァ的価値観を継承しつつセカイ系が牽引したものだ。これまたあてずっぽうかつ無責任に言うと、セカイ系の気持ちよさは閉鎖から開放に向かうように見せつつ、実は「語りの立脚点としてのボクの確認」に帰着するところにあるので、その意味ではきちんと他者不在のディスコミュニケーションの話だとは思う。21世紀のハンター蟻編は、共生したい他者がきちんといて、でも共生できないディスコミュニケーションを描こうとする点で『寄生獣』を継承するのではないか。つまり他者を承認することを通じて自分が承認されたい地点に立ち戻ることをせず、他者との生存闘争・殺し合い、否定の責任をただ背負おうとするような。
これをゴンとキルアの登場人物目線でも、人間とキメラアントの社会目線でも、描こうとすることは、少年漫画としてはやはり新しいと僕には思える。このところ年間10本ペースでしか書けていない冨樫だが、あんまり遅筆だとバスタードみたいに当時は新しかったのに今では新しくない、みたいになってしまうので、とっとと描ききってほしい。
しかし蟻編では人間とキメラアントたちとは(ある価値観を共有できたとしても、集団としての背景が異なりすぎて)共生できない現実を描こうとしている。物語的決着の帰趨も気になる所だが、もし冨樫が蟻編でそうした根深いディスコミュニケーションを描こうとしているのならば、いよいよこれまで何度も伏線が張られ続けてきたキルアとゴンの関係に話の焦点は本格的に移るだろう。人間対蟻と、ゴン対キルアの関係は並行して、両者は相互に比喩的に、どちらもディスコミュニケーションの物語として語られるだろう。
ディスコミュニケーションの物語自体は、1995年の『寄生獣』連載終了、1997年『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』のあたり、20世紀最後の匂いがする。ただし、かなりあてずっぽうに言うが、その匂いは主にエヴァ的価値観を継承しつつセカイ系が牽引したものだ。これまたあてずっぽうかつ無責任に言うと、セカイ系の気持ちよさは閉鎖から開放に向かうように見せつつ、実は「語りの立脚点としてのボクの確認」に帰着するところにあるので、その意味ではきちんと他者不在のディスコミュニケーションの話だとは思う。21世紀のハンター蟻編は、共生したい他者がきちんといて、でも共生できないディスコミュニケーションを描こうとする点で『寄生獣』を継承するのではないか。つまり他者を承認することを通じて自分が承認されたい地点に立ち戻ることをせず、他者との生存闘争・殺し合い、否定の責任をただ背負おうとするような。
これをゴンとキルアの登場人物目線でも、人間とキメラアントの社会目線でも、描こうとすることは、少年漫画としてはやはり新しいと僕には思える。このところ年間10本ペースでしか書けていない冨樫だが、あんまり遅筆だとバスタードみたいに当時は新しかったのに今では新しくない、みたいになってしまうので、とっとと描ききってほしい。
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