2012年2月2日は、街中を大混乱に陥れた記録的大雪の日として、しばらくは山形に記憶されて、そしてさっさと忘れ去られるだろうから少しメモ。
別に山形に限ることなく、この日は全国的に降雪があり、あちこちで交通の混乱を招いた。身近な混乱で言えば、自家用車の掘り起こしを約90センチの深さから掘り起こし、ひざ上の雪で長靴がすっかり埋まってしまう。
除雪のおっつかない道路では至るところで身動きの取れなくなった自動車があり、案外みなさん四駆でもないのだなと思う。僕は最初に山形に移り住んだ時、雪と坂の多い地区だったし、雪国初心者としては安全を考慮して四駆を選んでいた。やたらと燃費の悪い車の、ほとんど初めてのアドバンテージ。
立ち行かなくなった車というのは、つまり柔らかい雪が次々降り積もるので砂地にはまり込むような感じになってしまうわけ。ということは大勢で押せばどうにかなる。したがって街中で止まった車には数人がどこからともなく集まってきて、せーのとやることになる。インフルエンザの娘を病院に連れていくために外出したわずか1時間半の間に、僕も3台の車救出に参加。
ふだん山形にいると、車社会の乱暴さみたいなものをよく体験する。詳細は書かないが、車に乗った山形の人たちは、歩いている人よりちょっと意地悪に感じることがある、が、こういう助け合いはやっぱり美しいといっていいのではないか。本当にわっと集まって来る。昨日は、自家用車、コンビニに来た配送車、タクシー。動かなくなった車を人海戦術でわーっと押して、動いたら笑顔でお礼を言って、手伝いの人たちは良かった良かったとか言いながら、さーっと元の持ち場に戻る。そのフットワークの軽さ。
少しずつ社会的労力をシェア、とかいうと胡散臭くなるけれど、まあそんな感じで。内田樹の村上春樹論で好きなのは、春樹が書こうとしていたことは「雪かきなのだ」というくだり。別にお金がもらえるわけではない、直接的な利益になるわけではない、けど誰かがひっそりとやることで、まるで自然に社会が回っているように見えるということ(だったと思う)。
マンションぐらしではなかなか当事者意識が希薄になりがちで、雪かきなど大家さんがやってくれるものだと思って、ついぞここではスコップを手に取ったことはなかったが、思い立って共同駐車場の雪かきを。ご近所の皆さんはいつもどおり。降り積もった雪の吸音のため、ざりざりと雪かきをする音がやわらかい。おかげで今朝は背筋がつりそう。雪かきをきっかけに出会ったおじさんにもらったネギを食べながら。
「地域」というキーワードで語られること、住んでいる人のリアリティーを置いてけぼりにした町おこしや特色ある観光地などにはほとんど関心がないが、すこしずつ苦労をシェアすることで成立している地域のことを考えた時、以前よりずっと感覚が言葉になじむように思った。妻も同じ感覚のようだが、山形では「お互い様」という言葉をたびたび耳にする。トラブルになった時に自分の責任を減らそうとする攻撃の話法ではなくて、山形では「お礼を言われる程ではないよ」といった意味合いで耳にすることが多い。山形にしっくり来る言葉じゃないかなあと思う。
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大勢で救出した軽自動車についての顛末を一つ。運転席の爺ちゃんが困り果てていたこともあってか、大人5人が気持ち張り切ってどうにか車を動かすと、ごめん、ハンドブレーキしたままだったと。トラブルをなんでも雪のせいにすると見落とすこともある。ので、ここに書いた記事も、雪に寄りかかってしまっているだけなのかも、知れないですね。
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