起き抜けに開封していなかったパプアのおみやげコーヒーを淹れて飲み、ダラ読みしているマクニール『世界史(上)』のイスラムのところを終えつつある。ちょうどモンゴル軍が13世紀にイスラム世界のどまんなかバグダッドをボッコボコにするところである。
ステップ地帯からの攻撃にさらされて、アッバース朝ペルシャイスラムもそろそろ終わるわい、という大混乱を経て、イスラム教の見直しが始まる。宗教による社会的秩序が壊されると、新しく心の安寧を求めて宗教は内面に向かうということなのだろうかね。
してみると僕がコーヒーを飲めているには、ステップ地帯からの攻撃、イスラム律法の形骸化、オカルトの登場、という人類の歴史のパターンからいえばひじょーにまずい流れのなかで誕生したおいしー偶然があったからなのですね。まとまらんからこんなとこで。
ステップ地帯からの攻撃にさらされて、アッバース朝
いかなる想像力の離れ業をもってしても、「律法」をこれ以上拡大解釈して、イスラム世界のほとんど全土を覆っている政治の混乱状態を合法化することはもはや不可能だったからである。(p.378)そして信仰への信念は内面に向かい、次第に神秘主義へと。ベトナム戦争と禅の流行に、これを重ね合わせてしまうのは僕だけではないだろう。
そこで真の神の道を求める者は、次第次第に神秘主義に傾いていった。いずれもスーフィーと呼ばれるさまざまな聖が現れて、神との至福の合一をめざして探求を重ねた。(同)神秘主義にはそれを体験させるための装置が必要なのであって、禅の流行に伴う大麻、みたいな感じでコーヒーが用いられた、のではなかろうか。『コーヒーは廻り世界史が廻る』(→amazon)では、スーフィーたちは徹夜で神学の探求を行う際にコーヒーを飲んだという。昔アラブのエライお坊さんが、というやつ。その後、コーヒーが宗教的な秘薬としてではなく社交の場に用いられて大衆化していくと、今度は堕落じゃ!とか言われたりする(→コーヒー - Wikipedia)ところも大麻に似て…などと書いてもアイキャンフライと思わないで欲しい。
してみると僕がコーヒーを飲めているには、ステップ地帯からの攻撃、イスラム律法の形骸化、オカルトの登場、という人類の歴史のパターンからいえばひじょーにまずい流れのなかで誕生したおいしー偶然があったからなのですね。まとまらんからこんなとこで。
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