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長谷川町蔵×大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』

長谷川町蔵×大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(→amazon)面白かったー。2011年10月に初版が出て、もう4刷なのもうなずける。

ツイッターでごちゃごちゃつぶやいたけれど、ヒップホップの歴史が歴史を支えた機材と場の観点から語られていく仕組み。菊地成孔のジャズ解説本に近いテイスト。菊地成孔のような祭りの主体としての語りだけではなくて、引いた目線が強調されているのが入門者にはありがたい。というのもこの本は対談形式で、ひとりがヒップホップに造詣の深い音楽ライター(長谷川氏のほう)、もうひとりがどうしてもヒップホップが好きになれなかったけど最近好きになったというアメリカ音楽研究者なのですね(大和田氏のほう)。後者の視点によりそって読めてしまうのが良かった。それでいて大和田さんはアメリカ音楽史の研究者でもあるようで、カルスタ的な切り口で解説を加えてくれるのがまさに「文化系のため」。粗野でリア充で爆発しろでマッチョなヒップホップを、きちんと「僕ら」が受け入れられるようにしてくれる。

ただ、ここに書かれているのはブロック・パーティー期から東西海岸、すなわち西海岸のギャングスタ、ほんで色々あって今のヒップホップというアメリカの流れ。なので、強烈に知りたくなるのは日本のシーンはどうだったのよということ。お二人の仕事ではないだろうけれど、もし機会があれば日本のヒップホップシーンのこともこうやって読んでみたい。

本書を通じて分かったのは、ヒップホップでは「場」の要素がすごく強いということだった。そもそもレペゼンという言葉からして地元愛バンザイなわけで(ようやく意味を知った)、ヒップホップを外巻きに見ている我々が往々にして揶揄する「俺とダチ」「ダチは大事」みたいなことは、音楽自体が地元のやんちゃな人間関係を支えとして生まれたことからすれば当然の表現と言える。文化系男子はまさにそれがうざいので、それゆえに敬愛するうすた京介のマンガによく見られる「ヒップホップフォビア」的なくだり(『ピューと吹く!ジャガー』(→)に見られるハマーの徹底したオレ語りとか)には僕も強く共感したわけだ。

閉鎖的な距離の近い人間関係は逆に敵を外部に作ることで盛り上がるわけで、ヒップホップの技術でもって「オレのほうがスゲエ」をやりあうことが技術の底上げにもつながり、プロレス的な楽しみ方を生んだ、と(一方でアフリカ起源の「ダズンズ」という「言い合い」みたいな文化をヒップホップのルーツに持ってきて文化人類的な色彩を与えるのが、この本の魅力)。それがギャングに受けて西海岸のギャングスタ・ラップが誕生した、という解釈でよろしいでしょうか。

このギャングスタが少なくとも日本では罪深いように思う。本でも触れられているけれど歌詞すなわちリリックが完全に不良の武勇談で、これが日本のリスナーには確かに踏み絵になってしまっている。かつてはロックファンもヒップホップを聞いていたはずなのに、ここでギャングスタが聞けないリスナーはヒップホップから漏れ落ちていくとのこと。ギャングスタは80年代後半から90年代前半に伸びていくとのことで、これはものすごく実感がある(日本には遅れてきたはず)。あとで書くけれど僕もギャングスタがヒップホップのイメージで、それゆえに毛嫌いしたタイプ。

自分語り(笑)の前に、印象深かったところをひとつ。それはヒップホップとロックを対照的に論じていること。第6部「ヒップホップとロック」が振るっている。日本のロックが「個」、自分語りを自己愛的にやってしまう内面性に強く支えられている(本では純文学に近いとするがつまり私小説の系譜を指していることと思う)一方、ヒップホップは「場」に支えらている点が大きく異なると。社会へのアンチとしての個という構図じゃなく、ある意味最初からソーシャル志向であるということなのだろう。ゆえに立身出世といったビルドゥングスロマン、成り上がりを肯定的に捉えるようなメンタリティに音楽は支えられる。売れて高級車とかでかい家とか宝石とか、僕が見てきて「ハア?」とか思ったノトーリアスBIGのPVとか確かにそんなんだった!なんかヴァン・ヘイレンにおけるデイヴ・リー・ロスとか思い出す悲しさもあるけれど…(笑)。ゆえにセカイ系以後の日本ではどっちかつうとロックは内向的な指向性を持つ人が聞いて、ヒップホップはリア充だもんね。なるほどと思った。もっとも911以降のアメリカでは内面を歌うヒップホップも増えているようで、そこにアメリカの世代論を見る機会はあるらしい(詳しくは本書で)。

本当は、そういう文化的背景に影響を受けつつも、良い読み手はこの本から音楽そのもののことを読み取るべきなのだろう。なので、末尾に僕がこの本を読みながら実際に聞いてみたYOUTUBEのリストを掲げておきます。

* * * * *

さて先日、元同僚(どちらも70年代前半生まれ)と、若いころヒップホップ聞いた?論議をした。で、全然噛み合わなかった。僕も彼もやや上の世代から影響を受けて、中学高校時代にロックを浴びるように聞いた経験を持つ。僕は大学前半までわりとメタル寄り、彼はたぶん高校くらいからフリッパーズギター的な世界にも両足を突っ込んだ人。で、僕の方は周りにヒップホップを聞くような人は全然いなかったし、どういう人が聞くのか皆目見当がつかなかったまま、いまの短大に勤めてみたら学生がヒップホップを聞きまくっているのでようやくリスナーに出会えた経緯。ところが、元同僚は大学前半には悪い奴らはヒップホップ聞いてたよ、仙台の繁華街で低音ならした車で女の子をナンパしてるようなのがいたよ、と。

みたことないな(笑)!これどういうクラスタなのか。でも悪いやつにヒップホップを聞くクラスタがあったってことは想像できる。だと、「偏差値高い」学校では文化系が多いというステレオタイプで行くとヒップホップリスナーは少なかったと。それと僕自身に関して言えば、高校がすごく田舎(埼玉北部)にあったのですね。だから悪い人達もメタルとかだったように想像します。ここ、社会階層の問題と都市/郊外の地政学的な問題に直結しているはず。以下は、大和田さんがギャングスタって踏み絵だよね、って文脈で言ってるくだり。
大和田:(前略)あと日本の場合、ニューウェーヴを聴いてきた層は文化的エリートかサブカル・エリートが中心で、おそらく彼らは地元のヤンキー的価値観を憎悪しているんですよ(笑)。だいたい地方の中学や高校だとヤンキーや運動部が幅を利かせていて、オタクやサブカルはおとなしくしてるじゃないですか。「自分はこんな奴らと違ってエッジーなカルチャーに接しているんだ!」とぎりぎりのプライドだけで日々の生活をサバイブしているのに、その「新しいサウンド」の中身が地元主義だったり不良グループの抗争だったりすると心底勘弁してほしい、ということになるのかも。こういうのが嫌だから早く東京に出たいのにって(笑)。
長谷川:自分は逆でしたけどね。僕はヤンキーが多いエリアから私立の進学校に進んだので、音楽の趣味がいい文化系エリートになろうとしたんです。アメリカン・ポップスの歴史を辿ったり。でもギャングスタ・ラップでハッキリした。ああ、自分はしょせんヤンキー側なんだと(笑)。(p.122)

ああ(涙)。学生時代からの友人のEXPOP(→ニッチ帳)がまさにそんなこと言ってた。僕も一緒にギャングスタ的なヒップホップをそうやってバカにしてたもの。当時はZEEBRAとかが有名になりだした頃だったように思う(90年代後半)。高校から大学にかけての80年代終わりから90年代後半まで、地方の「偏差値高い」高校はそうだったかもしれん。ただ東京は違ったかもしれない。例証は挙げられないけれど、東京の「偏差値高い」学校はもうちょい悪いイメージあった。彼らは僕らが全然知らない音楽を聞いていて、ブラック系を聞いていたようないた気もする。が、たぶんギャングスタではなくて、もうちょいブラック・コンテンポラリーな、女の子騙せそうなプレステージを持つ音楽(笑)だったように思う。黒歴史だが、大学に入って(それまで男子校)好きになった都会の女の子にこれ絶対ガチ!なメタルを集めたテープを送ってですね、近年稀に見る爆発と轟沈したことがあります。「こういう音楽(ワラ)?」って感じでした。あれは凹んだ。今になって振り返るに、メタルのテープはないな、とつくづく思います(笑)。

閑話休題。噛み合わなかったのは、周りにヒップホップを聞くやつがいなかったということではなくて、僕の周りに都会的なやつか悪い奴がいなかったということかもしれない。学生時代、元同僚は仙台で僕は東京ですが、高校時代は僕が田舎で彼が都市です。さあこれをどう見る。また、日本で僕の世代でサブカルヒップホップといえばもちろんスチャダラパーなわけだけど、日本のヒップホップのある意味分厚い層が、ヒップホップ好きな学生は誰も知らない。ギャングスタ以降、ヒップホップは違うものになってしまったんじゃないかと夢想しますがどうか。(文系が育て、ギャング気取りが潰した日本のHIPHOPというスレッドあり。関係あるかも)

まとまりがないままこのあたりで。昨今はブログもツイッタ的に場の文学で良いというのであれば、きちんとした構造を持たなくとも許されるでせう。お茶にごす。転勤族&ハーフなのでレペゼンできねえYO!

* * * * *

各時期やセクションを代表するアーティストを取り上げているわけではありません。解説の中で上がっているもののうち自分が聞いたものだけ。なので、ほとんど自分用なのだけど、聞きながら読むとよくわかるし、聞き所もほんのり分かるような気もする。ヒップホップってかっこいいかも…と思いつつある自分がここにいます。という語り方をするとロックなのだね。

ブロックパーティ期
Grandmaster Flash - The Message (Live The Tube 1983) - YouTube
 グランドマスター・フラッシュ。80年代前半に活躍した人。
Breakdance (1984) - YouTube
 ブレイクビーツ、スクラッチ、ラップの3要素が揃ったというところでは、本書で触れられないが、映画『ブレイクダンス』(1984)とかイメージ伝わりやすいかも。

オールドスクール期
Sugar Hill Gang - Rappers Delight - YouTube
 シュガー・ヒル・ギャング。めちゃめちゃ売れたんですと。1979年ですが。聞いてみてワム・ラップ!の元ネタだと分かった。
Afrika Bambaataa-Planet Rock Kraftwerk Original Video - YouTube
 番長アフリカ・バンバータ。1982年。シンセとかボコーダーとかドラムマシーンとかの力で、アタックが強くて宇宙な感じが出ている。ここでエレクトロが投入されたことがのちのテクノやハウス誕生につながる、という意味で大切なご先祖様ですね。

イーストコースト
Eric B. & Rakim - Follow The Leader - YouTube
 1987年。それまでのブレイクビーツがドラムとかリズムトラックだけをサンプリングしたのに、機材の発達によってウワモノもサンプリングできるようになったんだって。
RUN-DMC - Walk This Way - YouTube
 ご存知ランDMC。1986年。
MC Shan - The Bridge - YouTube
 MCシャン。クイーンズとブロンクスという地域をめぐる「俺らが元祖ヒップホップである」ご当地戦争のクイーンズ側の兵隊。
Krs-One - South Bronx - YouTube
 KRSワン。ブロンクス側の兵隊のひと。音楽的にはどっちのおんなじに聞こえるね。

ウェストコースト
N.W.A. - Fuck Tha Police + Lyrics - YouTube
 NWA。ギャングスタです。1988年。
Dr. Dre - Let Me Ride - YouTube
 DRドレー。PVに車がガンガン出てくるイメージはここかららしい。カーステレオで聞く音楽とのこと。
50 Cent - In Da Club - YouTube
 ドレーがプロデュース。2003年。ループだけでヒップホップとのこと。

その他、メモみたいに掲げるリスト。
Lil Rob - Summer nights - YouTube
 チカーノ・ラップ,p.150
Jodeci - Gotta Love - YouTube (1991)
 ニュージャック・スウィング。
DeVante Swing Feat Static : Gin & Juice . - YouTube (1995)
 ジョデシィのリーダー、ディヴァンテ・スウィングのソロ。「ループ感が前面に」(p,187)
Missy Elliott - Get Ur Freak On [Video] - YouTube
 ティンバランドのビートに乗ったディスティニーズ・チャイルドのミッシー。p.192
Busta Rhymes -Touch It (Dirty) - YouTube
 スウィズ・ビーツによるプロデュース。「リズムはセカンドライン」p.198
JAY-Z - Big Pimpin' ft. UGK - YouTube
ティンバランドによるプロデュース。「トラックは中近東ぽい」p.204
Master P "Make'em Say UGH" - YouTube
 はあ。
Juvenile - Ha - YouTube
 フローとビートが同期していない例として。p.206

コメント

元同僚 さんのコメント…
昨日の夜家でもしゃべったけど同じような層はやっぱりいたといっていたよ!RUNDMCとか昨日亡くなったビースティボーイズとかのメジャーどころじゃなくて、でもかっこいいヒップホップをドゴドゴして走ってる系。探してみるもののメタルと渋谷系しか知らんかった人間には全く見当がつかず、大学にはサザンとミスチルの新譜を買う奴がほとんどで、そうじゃない人たちはクラブに潜り込んでおり、ミクスチャー経由でDAが登場してHIPHOPが一般に初めて認識される、みたいな話を、あ、電気とかかせきさいだぁってどのへんだっけとかケツメってどの世代が直撃だとかラップ方面に寄り道しつつ。どうもこれ、大学時代が都会か地方都市かという問題じゃないかなあ。
そんなことよりももくろですよお兄さん。これこれhttp://www.youtube.com/watch?v=OY6_rG3j-Mc&feature=player_embedded
NJM さんの投稿…
まず思うのが車で音楽流して走ってる奴ってのにほとんど会わなかった。そこに都会か地方都市というのがあるかもしんない。僕が知ってる都会の悪いひとはブラコンとか聞いてたように思うけれど…。マスメディアだとMCハマーとかMCATとかキワモノ=ヒップホップというイメージがあった。あとから知るサブカル方面の人たちはカッコ良かったけれど、オンタイムでは全然聞かなかったよね!

ちなみに僕は渋谷系に出会ったのも終わりかけの96年頃です。メタル卒業からファンクをさまよう時代が長かったという、都会におけるクラスタなし流民でした。

ももクロ初見。もっと場外乱闘とかマイクパフォーマンスとかあると思ったです。
YAS さんのコメント…
僕もこの本はとても参考になりました。ところで周りにヒップホップを聴いている奴がいなかったということですが、「サイタマノラッパー」の入江悠監督は70年代後半生まれで、深谷出身でヒップホップ好きなので、90年代半ば(さんピン前後)には地方にもぽつぽつリスナーはいたと思います。数はそんなに多くなかったとは思いますが。僕も70年代末生まれの埼玉県民でずっと文系ロックリスナーでしたが、数年前から急に日本語ラップにハマり出しました。今ではヤンキー系ラップをガンガン聴いてます。
NJM さんの投稿…
YASさん、コメントありがとうございます。90年代半ばには地方にもぽつぽつだったのですね。「サイタマノラッパー」はぜひ見てみます。インタビュー集『ラップのことば』もすごく良かったのでまだお読みになっていないのでしたら是非。YASさんがロックからヤンキーラップに傾いていった経緯もすごく気になりますね。僕はライムスターのRED ZONEが入り口でしたが。

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