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嘘つきアーニャの真っ赤な真実

上京の折、電車のなかで米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(→amazon)を読んだ。筆者が中学生のころ滞在していたチェコスロバキアで知り合った友人たちの、ソ連崩壊後のそれぞれを描いたオムニバス形式のノンフィクション3連作。通訳としての言語センスもさることながら言語文化への独特の距離感が、読んでて気持ちいいところもあり、苦笑いするところもあり。

3連作のうち、東欧圏であるチェコスロバキアを離れてドイツに住んだ友人、イギリスに住んだ友人、ユーゴスラビアの住んだ友人とが出てくる。それぞれが歴史に翻弄され、運命を大きく変える。興味深いのは、3人のうち著者がもっとも生き方に共感できていない人物が主人公(アーニャ)の話が表題作となっていることだ。アーニャは共産主義圏で理想的社会をうたいながらも、特権階級の恩恵を浴びながら、自己矛盾に気づかない。

「そうよ。マリ。民族とか言語なんて、下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないの。今わたしは英語でしゃべり、マリはロシア語でしゃべっているというのに、お互いにほぼ100%分かり合っているでしょう」(p.187)


共産主義を後ろ足で蹴飛ばしてイギリスで成功したアーニャと再会を果たした著者は、彼女の「不誠実」を責める。

「アーニャ、私たちの会話が成立しているのは、お互い英語とロシア語を程度の差はあれ、身に付けているからよ。あなたがルーマニア語でしゃべり、私が日本語でしゃべったら、意思疎通はできないはず。だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」(p.188)


おそらく、この一くだりのなかに、米原万里のエッセンスが全て詰まっているのだと思う。具体的な場を僕たちは生きているという点は心情的によく分かるが、現場を成立させている枠組みは時に「民族」「国家」であって、そこに「ペラペラ」でない実体性みたいなのを与えているところが、米原万里のありかたなんだなあと思った。ただ、僕にはやっぱりそのような枠組みに実体性みたいなものは感じないし、「母なる文化と言語」にも距離感がある。アーニャみたいに「民族とか言語なんて、下らない」とまでは思わないけれども、民族とかカッコ付きの「言語」に気持ちを委ねることは全くできないでいる(それでいいと思っている)。

で、米原万里は、この一くだりが全く通用しなかったアーニャをペラペラなやつと一蹴するのではなく、主義主張に駆られる人間の一面を見たのかなと思う。つまりそのような、鶴見俊輔が「一番病」といったような、主義主張の中身ではなくて主義主張そのものを生きる媒介とせざるを得ないような弱さを持つのももまた人間なのだろうと。「一番病」については、僕も常日頃クソッタレだと思い続けているのだが、恥ずかしながら、時にそこに寄りかかりたくなる弱さもやはり人並みに持ちあわせている。なので、アーニャにも(もちろん米原万里にも)、その点、気持ちを寄り添わせることはできなくはない。

これまで読んだ限りでは、米原万里ってややスノッブめいたユーモアが持ち味だと思うんだけど、一方で人間に対する愛情が深い。辛辣な物言いも、その愛情ゆえに、分かってるだろ?みたいにニヤニヤした感じがある。アーニャの描かれ方にも、似たようなものを感じるのだが、そしてだからこそ表題作になっていると思うのだが、どうだろう。

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