今井むつみ『ことばと思考』(→amazon)読了。刺激的な本だった。
言語学と人類学にまたがる領域に、「ことばと文化」または「ことばと思考」というテーマがある。素朴に言われるところの、文化や思考の多様性は言語と表裏一体という言説を、もう一歩踏み込んでやや挑発的に「文化や思考はことばに規定される」とした、いわゆるサピア=ウォーフの仮説(→wikipedia)は、この領域では広く知られている。僕も学生時代に強く興味を持ち、色々読んだ(niji wo mitaから言語権まで、など10年くらい前)。
どちらかというと文化人類学、哲学などの世界で論じられるこのテーマを心理学の方法と知見に基づいて科学的に分析した結果を一般向けにまとめたのが本書だ。グリースン『記述言語学』でも示される「虹の色は何色か」というおなじみのテーマも取り扱われる。サピア=ウォーフの仮説は、言語相対性仮説などとも呼ばれる。言語が異なれば見えている世界が違うという相対主義で、これと対極に位置するのがチョムスキーの生成文法やピンカーの言語本能説などの言語普遍主義だった。今ではサピア=ウォーフの仮説の仮説は、サピアやウォーフがいうほど強い根拠を持つものではなく、言語が世界認知に影響を与えるという程度の弱い仮説として受け入れられている。文化人類学者のバーリン(Brent Berlin)と言語学者のケイ(Paul Kay)が60年代末期に色感覚と色名には文化が異なっていてもある程度普遍性が認められることを明らかにした、というのもこの領域では有名な話。
そのことを心理学の手法に基づいて分かりやすく実証していることが本書のひとつの肝だろう。生物学的な性認識は言語的な性にどのように影響されているか、物の認識に可算名詞・不可算名詞を分ける英語などの感覚にどう影響されるか、といったテーマである。本書の結論は、やはり言語に影響を受けるということだ。本書の著者は発達心理学の研究がおそらくメインフィールドのようで、後半は子どもの言語獲得と世界認知の話へと移っていくのだが、これが前半よりもはるかにスリリングだった。たとえば数の認識に言語が関わっている話では、生後五ヶ月の赤ちゃんが数を数えることができているという研究が紹介されている。ただし認識できるのは3までで、それ以上は言語獲得を伴いながらでないと認識できないとのことだ。また世界には基礎語彙として1と2しか持たない言語があるそうで、その話者は3までは正確に認識されるがその先は正確さが落ちていくという。
また、空間把握においても、たとえば右とか左といった自分を中心とした相対的な位置指示表現を持つ言語と、東西南北のような絶対的な位置表示表現しか持たない言語では、異なりが出るという。生物が本能的に持っているのは絶対的な位置認識のほうで、「自分から向かって左」といった把握の仕方はしないらしい。「左」「右」などの表現を持たない赤ちゃんも動物と同じ把握の仕方をするが、言語を獲得するにつれて認知方法が変化していくという。
* * * * *
余談だが、著者が行う赤ちゃんの心理学実験に生後間もないうちの子どもと参加したことがあった。読み進めていくうちに、聞いたことがある話だなと思って末尾の業績一覧を見て思い出した。心理学の人がサピア=ウォーフの仮説の興味がある、ということに新鮮な感じがして話をしたようなことがある。本書を買ったのも全く同じ興味から。自分の興味のパターンが決まっている(変わっていない)ようで、一人苦笑いをした。
言語学と人類学にまたがる領域に、「ことばと文化」または「ことばと思考」というテーマがある。素朴に言われるところの、文化や思考の多様性は言語と表裏一体という言説を、もう一歩踏み込んでやや挑発的に「文化や思考はことばに規定される」とした、いわゆるサピア=ウォーフの仮説(→wikipedia)は、この領域では広く知られている。僕も学生時代に強く興味を持ち、色々読んだ(niji wo mitaから言語権まで、など10年くらい前)。
どちらかというと文化人類学、哲学などの世界で論じられるこのテーマを心理学の方法と知見に基づいて科学的に分析した結果を一般向けにまとめたのが本書だ。グリースン『記述言語学』でも示される「虹の色は何色か」というおなじみのテーマも取り扱われる。サピア=ウォーフの仮説は、言語相対性仮説などとも呼ばれる。言語が異なれば見えている世界が違うという相対主義で、これと対極に位置するのがチョムスキーの生成文法やピンカーの言語本能説などの言語普遍主義だった。今ではサピア=ウォーフの仮説の仮説は、サピアやウォーフがいうほど強い根拠を持つものではなく、言語が世界認知に影響を与えるという程度の弱い仮説として受け入れられている。文化人類学者のバーリン(Brent Berlin)と言語学者のケイ(Paul Kay)が60年代末期に色感覚と色名には文化が異なっていてもある程度普遍性が認められることを明らかにした、というのもこの領域では有名な話。
そのことを心理学の手法に基づいて分かりやすく実証していることが本書のひとつの肝だろう。生物学的な性認識は言語的な性にどのように影響されているか、物の認識に可算名詞・不可算名詞を分ける英語などの感覚にどう影響されるか、といったテーマである。本書の結論は、やはり言語に影響を受けるということだ。本書の著者は発達心理学の研究がおそらくメインフィールドのようで、後半は子どもの言語獲得と世界認知の話へと移っていくのだが、これが前半よりもはるかにスリリングだった。たとえば数の認識に言語が関わっている話では、生後五ヶ月の赤ちゃんが数を数えることができているという研究が紹介されている。ただし認識できるのは3までで、それ以上は言語獲得を伴いながらでないと認識できないとのことだ。また世界には基礎語彙として1と2しか持たない言語があるそうで、その話者は3までは正確に認識されるがその先は正確さが落ちていくという。
また、空間把握においても、たとえば右とか左といった自分を中心とした相対的な位置指示表現を持つ言語と、東西南北のような絶対的な位置表示表現しか持たない言語では、異なりが出るという。生物が本能的に持っているのは絶対的な位置認識のほうで、「自分から向かって左」といった把握の仕方はしないらしい。「左」「右」などの表現を持たない赤ちゃんも動物と同じ把握の仕方をするが、言語を獲得するにつれて認知方法が変化していくという。
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余談だが、著者が行う赤ちゃんの心理学実験に生後間もないうちの子どもと参加したことがあった。読み進めていくうちに、聞いたことがある話だなと思って末尾の業績一覧を見て思い出した。心理学の人がサピア=ウォーフの仮説の興味がある、ということに新鮮な感じがして話をしたようなことがある。本書を買ったのも全く同じ興味から。自分の興味のパターンが決まっている(変わっていない)ようで、一人苦笑いをした。
コメント
英語圏で6色、日本語で7色といった話なら言語相対主義の古い議論で済みます。もう一歩進んだ議論なら認知言語学ですかね。
両方の側面から初心者向けに論じているのが『ことばと思考』です。参考になる文献も挙げられているので、この方面に興味がおありなら一読をおすすめします。
日本語で読んで英語で書くのですよね。頑張ってくださいねー。