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マンガっす、あとウシジマ

よしながふみ『大奥(7)』(amazon)は、アマゾンの書評がよくできているのでそちらを。吉宗の話です。『勇午 台湾編(1)』(amazon)もディープ台湾という感じでいまのところ面白い。台湾人の定義は、うん、マンガだからという程度。しかしネタ的になかなか危ない話なのでちょっとドキドキします。おおひなたごう『空飛べ!プッチ 完全版』(amazon)はおおひなたごうにしてはギャグ度が低め。少女漫画の雑誌に書いた連載みたい。打ち切られたものをきちんとまとめたらしく、打ち切りのところは確かにえぐい。ビームコミックスは総じて装丁が僕好みで、とくに本作は立体の工夫が施してあるので裁断したくないです。松本大洋『竹光侍』はゆっくり読んでいるのでいずれ。

そいから友人から借りた真鍋昌平『闇金ウシジマくん』(amazonが読んでて軽くブルーになるので、もう返すわ(笑)。全部読んだけど。ゼロ年代的な雰囲気は確かにあるけども、描かれ方がスピリッツ的すぎる(僕たちは社会の「その層のことはよく分かってますよ」的な、神の外部視点で社会事象をモノ化しつつ参与観察のような顔をする)。僕は週刊誌の中でスピリッツほどきらいな雑誌はないのですが、その理由がホイチョイ的でフジテレビ的で、あと三浦展的な感じです。つまり80年代バブル目線での若者描写という雑誌としての基本線、としてゼロ年代の僕自身が感じているわけで、これ自体が社会学的分析対象となるある種の当事者語りだと思ってください。そんなポジション取りをしたうえで言いますと、ウシジマくんの視点こそがスピリッツ的な視点であって、三浦的な視点です。なお真鍋昌平は20代の若者でこの批判はあたらないとの反論もあるでしょうけれど、これをスピリッツが成立させているところについての指摘です。自称初期ゼロ年代の僕はあらためてウシジマ=スピリッツ仮説にのっかり、ウシジマファック!と声高に叫んで筆を置きたいと思います。

コメント

貸した人 さんのコメント…
えー、ウシジマ君の読みどころは、俯瞰的な視点から見れば簡単な抜け道があるように思える小状況の中で追いつめられ、いとも簡単に破滅への道を選んでいくというホラーにあると思うわけです。そういう意味で、俯瞰的な眼差しは確かにあるんだけど、それはある種の観察者的な視点とは異なる役割をも果たしていると思う。「この世界の秘密」に容易に言及するセカイ系ミステリの安直さをも禁欲する(ウシジマ的な俯瞰視線は、おっしゃるように、まさしく我々が見飽きたワイドショー的陳腐さをキープしており、斬新でもなんでもない)という意味で、桐野夏生とかに近い読み応えを感じるんですけどねえ。
ところで「大奥」ですが、面白いんですが、吉宗の「人の心の細かな襞がわからんようだ」とか抜かしやがる造形はどうなんだー!ああいう少女漫画的「優秀だけど浮世離れしていてちょっと間抜け」主人公、あれはいいのかいいのか。そんなんでええのんかええのんか。
NJM さんの投稿…
ウシジマの読みどころは肉蝮が案外ヘタレだったというところだと思います。安易にヤンキーバトルシーンに逃げないところも同様に禁欲的だと思います。

すいません、これに関してはほんと批評的精神のかけらもない意見なのですが、まずゼロ年代ってそういう感じだっけ?というのと、やっぱりウシジマ的視点の三浦展性に不快を感じているのだと思います。ということはつまり三浦展が悪いのであってウシジマ悪くないのでは?とか言わないで(笑)。ウシジマは三浦展の視点を持っています。

面白くないわけじゃないんですよ。ただなんかこうグラッ(血の煮える音)としてしまうのですよ。こんな陳腐な描写して社会派とか言われてんじゃねーぞと(誰も言ってないかもだけど)。

そいで吉宗はもちろんええのん。ファンタジーに針が振り切れているからええのん。

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