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放射線を希釈する空気の力

喉元すぎれば熱さを忘れつつある今日この頃、放射線の脅威が日常の雰囲気の中で何倍にも希釈されて、何を言ってもしゃーねーし、な雰囲気を楽しめる日本すげえなと日々思いがつのりつつありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。本日、職場で放射線をめぐるちょっとしたいさかいがあって、たぶんこれってうちだけじゃなくて日本全国同じなんだろうなあと思った次第。

要は、相馬市や福島市や郡山市に出張に行け、いや行かない、というそういう話です。出張に行けと命じる方は、「微量の放射線なら問題がないから行っても大丈夫」「行くかどうかは個人に選ばせるので、不愉快なら断ってよし」が論拠。放射線はたぶん危険(笑)だと思うけど、後は人それぞれの感覚を尊重しますよ、という空気読みまくりの日本らしい現場です。「行きません」と断言する人への、ああうるさいことを言うやつがいるという空気に続いて、「じゃあ私が行きます」という人が賞賛されかけたのでさすがに何人かでストップかけました。山本七平『空気の研究』(→amazon)を読もう。僕は、まずこれは完全な欺瞞だと思います。なにこの泥を被った奴が偉いみたいな雰囲気。この場合の泥かぶりは百害あって一利なしです、と。

こういう空気を醸成しようとする背景には、放射線に関わる客観的な数値を一切自分で調べようとしない態度に貫徹された、ある種の人間主義があるなと思います。出張に行ってもらいたいと言った本人は「放射線のことは全然分からないので」と言い、しかし情に訴えるような熱弁を振るう。実際、低量放射線が体に与える影響について、データがないために公式の見解は出されていない、ゆえに巷で言われる「正しく怖がる」ことができないのは分かる。しかしどうせ分からないから、ということを、怖がってもしょうがない、調べてもしょうがない、だから大丈夫と転化させて行くのは人文系大学教員として素晴らしい態度だと思います。わずかの放射線でクドクド会議でうるさいことを言うやつがいるなあ、とこれまた日本的なニヤニヤ目配せをするやつがいてですね、「分かった分かった、じゃあ俺が行くよ」みたいな雰囲気です。ここは紛れもなく日本ですね。

相馬市や福島市や郡山市の放射線量は、公称値ではあるけれどもウェブで簡単に見ることができる。またボランティア組織が独自に計測した地表、1mなどの測定値も見ることができる。人体にどれくらい危険かということも、現状のデータに基づくものでしかないけれど、知ることができる。ガイガーカウンターだって購入することができる。のに、知ろうとさえしない。逆にこういうことをよく調べている人、脅威を訴える人は、ちょっとおかしい人みたいになっている。たぶんこれってうちだけじゃない。自信を持って日本全国で生じている現象だと言えるよ。

これは怠慢とか無知とかそういうレベルの話とは別の話だと思うのですよ。たぶん、放射線の脅威を日常の空気に希釈させてゆくやり方、そして人情の話にすり替えていくプロセス、そして放射線についてとやかくいう「ヤカラ」を生ぬるく包み込もうとする空気は、日本全国津々浦々どこにでも観察できることじゃないかと思います。テレビやネットの話じゃなくて、今日もどこかでデビルマン、身近に身近に体験していることだと思います。菅首相を批判しながら、おんなじ空気をみんなで仲良く共有している僕らって根本的にどこかおかしいですよね。僕もそういう空気があることをよく分かっている。だから僕もこの空気を持っていて、作り出していて、そのシステムの中にいる。

この状況は、間違いなく僕らが作っているんですよね。話題になっているこの動画の、見どころは、最後の1秒、児玉さんがフレームアウトしたあとに残った笑顔、これです。これが僕らの顔です。


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