台南で面白かったのは足裏マッサージ、じゃなくて国立台湾文学館(→國立台灣文學館;日本語も選択できる)だった。平常展「台湾における母語文学常設展覧会」(→台湾における母語文学常設展覧会 | 国立台湾文学館)には次のようにある。
近年の言語研究者が活発に報告するように、台湾では、母語を異にする民族間では日本語がある種のリンガフランカのように機能するという(niji wo mita: 越境した日本語―話者の「語り」から―)。もともと書記言語を持たない原住民族の言語使用者にとって植民地時代の言語を使ってものを書くことはもはや「自然」なことだろう。そうした状況でたちあらわれた新たな命題「母語でものを書く」ことの計り知れない困難さを思う。『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で: 水村 美苗: 本』をふと思い出す(niji wo mita: 水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」)。
館内のパネルにふと目をやると、そのクリティカルなあざとさが光る。 この言語的分断が状況としてここにあることに、我らの日本語は無関係ではない。書架に並ぶ「国語」とは何であったか。「国語」は選びとることができたか。「国語」という制度の前に「母語」という制度はいかに弱々しくふるまおうとしているか。
ということでゆっくり見たかったのだが、子連れで行くとそうも行かない。退屈した子どもが館内を走りまわって、何度も怒られたそうだ(本人談)。でも何を怒られているのか全然分からなかったので、どうということはなかったみたい。旅行者たる我々の母語は、言語的階層の下の下のほう(笑)。
台湾は多元多族の島であるため、それぞれの母語文学を持たす特色がある。本展示は台湾語と客家語と原住民それぞれの言語で表した文学の豊かさを参観者に分かりやすく、楽しめるように作り上げました。そして、母語文学が台湾文学における存在価値を認識してもらいたい。いわゆる台湾語も書記が十分に整理されていないので、アルファベット表記を交える(このエントリの写真だけは全てクリックすると600pxlに拡大できます)。よく誤解されるが台湾の公用語は北京語に似た言語(北京語話者と十分に意思疎通ができる)であって台湾語ではない。1945年以前は日本語を除けば台湾語がマジョリティであった。台湾語も語族的には漢語の一種ではあるが表記法が定まっておらず、母語話者の主観では「台湾語は口頭語であって書けるものではない」とのこと。しかし近年台湾で高まっている母語運動の気運もあって、表記法も検討されているようだ。台北淡水にある真理大学の台湾文学系では、表記法確定の試みを続けている(→九年一貫鄉土語言教育 台語羅馬字進修教學網站)。書記言語としてのポジションを確立することは、ダイグロシア的な階層関係のなかで言語をより高い変種に位置取りすることを意味するので、これは貴重な取り組みと言える。 母語運動は客家語や、各原住民(PC的にはまずそうだが現地の言い方を借りれば)の諸言語にも同じ気運が高まる。 客家語版『星の王子さま』も。 原住民文学もあったが、アルファベット表記だった(写真はなし)。文学ではなく日記で目を引いたのが次の写真。 貴重な内容なので、左のページを試みに少し翻刻してみる。
三月十七日星期■(七)上午雲下午大雨ゆっくり見る時間がなかったので、この日記のプロパティを読むなり撮影するなりすることができなかった。3月17日が日曜日の年を調べると、1974、1968、1963、1957、1946、 1940が候補として上がる。この日記の言語的特徴は、日本語を基調としながら中国語を交えているところにある。例えば2行目の「外は已経に明るい」や7行目「彼は回家去了」など。これをもってただちにクレオールだのピジンだのとは言わないが、ある種の言語混淆が生じていることは確か。その他、日本語学習者にまま見られる特殊音節の脱落なども、6行目「嬉しからそうれて」(嬉しいから、それで)も見られる。
目を醒と外は已経に明るい.馬上寝具を片付て窓を打
開し東の空■を眺れば雲におほわれ■■た太陽の光
線がもれてゐる.吃早飯以後クリスチヤンサヘ君か本を持ちなか
ら遊びに来た.今日(ルビ:コンチ)は?先生は何所へ行く?と言ふと今日一中自分
と(書入:遊ぶ)さうてある。なんと自今は嬉しからそうれて一日■中彼氏と談話
し夕方雨が降つたのて彼は回家去了。スナイさんが来たのて彼に懐かし■
頼先生のお手紙を給り彼は嬉しからに家へ帰へて行つた。
近年の言語研究者が活発に報告するように、台湾では、母語を異にする民族間では日本語がある種のリンガフランカのように機能するという(niji wo mita: 越境した日本語―話者の「語り」から―)。もともと書記言語を持たない原住民族の言語使用者にとって植民地時代の言語を使ってものを書くことはもはや「自然」なことだろう。そうした状況でたちあらわれた新たな命題「母語でものを書く」ことの計り知れない困難さを思う。『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で: 水村 美苗: 本』をふと思い出す(niji wo mita: 水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」)。
館内のパネルにふと目をやると、そのクリティカルなあざとさが光る。 この言語的分断が状況としてここにあることに、我らの日本語は無関係ではない。書架に並ぶ「国語」とは何であったか。「国語」は選びとることができたか。「国語」という制度の前に「母語」という制度はいかに弱々しくふるまおうとしているか。
ということでゆっくり見たかったのだが、子連れで行くとそうも行かない。退屈した子どもが館内を走りまわって、何度も怒られたそうだ(本人談)。でも何を怒られているのか全然分からなかったので、どうということはなかったみたい。旅行者たる我々の母語は、言語的階層の下の下のほう(笑)。
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