一つ前のエントリniji wo mita: 帰化申請時に名前の変更を迫るについての、メモメモ。
マイノリティの地位と権利 - PukiWikiによれば、
とのこと。特別永住者の置かれた微妙な立ち位置を考慮すれば、この記述にも一定のバイアスがかかっている可能性を保留する必要はあるだろうが、ともあれ「大半が帰化後の氏名として日本人らしい氏名を使用することを希望している実状を踏まえた」というあたり、それが仮に事実だとしてもそれがどのような契機で立ち現れた「内的動機」であるかはもちろん別問題だろう。
基本的には、国籍と名前を「日本に住むなら当然そういう気持ちになるはずだ」だとか「国籍と名前は連動する」みたいな押しつけは、端的に同化政策だと思う。国家と名前はいちおう別物と見る必要があるだろう。
僕は個人的には国籍は国家のサービスを受ける権利(と共起する義務)の問題であって、名前はアイデンティティの問題だと考えているが、国籍こそがアイデンティティのよりどころで名前は大した問題ではない、という立場があることも一つ前のエントリで示したとおりだし、それはそれとして十分な根拠があるんだろうとは思う。
国籍と名前のどちらが大事という話は実は本質的な問題ではなくて、両者はどちらかがどちらかの包含関係になっているんじゃなくて、別々に選択できるものであるべきではないのか、ということだ。
マイノリティの地位と権利 - PukiWikiによれば、
政府は2000年7月14日答弁書で、『-手引』で「帰化後の氏名」欄に日本人らしい氏名を例示しているのは、「帰化許可申請者の大半が、帰化後の氏名として日本人らしい氏名を使用することを希望している実状を踏まえたことによる」との見解を示した。日本式氏名に変えるという法的規定もなければ、強要もしていないと公言しつつ、実際には、民族名の変更を求め、しかもそれが本人の希望だと言うのは、かつての朝鮮総督府と同じ手法である。
とのこと。特別永住者の置かれた微妙な立ち位置を考慮すれば、この記述にも一定のバイアスがかかっている可能性を保留する必要はあるだろうが、ともあれ「大半が帰化後の氏名として日本人らしい氏名を使用することを希望している実状を踏まえた」というあたり、それが仮に事実だとしてもそれがどのような契機で立ち現れた「内的動機」であるかはもちろん別問題だろう。
基本的には、国籍と名前を「日本に住むなら当然そういう気持ちになるはずだ」だとか「国籍と名前は連動する」みたいな押しつけは、端的に同化政策だと思う。国家と名前はいちおう別物と見る必要があるだろう。
僕は個人的には国籍は国家のサービスを受ける権利(と共起する義務)の問題であって、名前はアイデンティティの問題だと考えているが、国籍こそがアイデンティティのよりどころで名前は大した問題ではない、という立場があることも一つ前のエントリで示したとおりだし、それはそれとして十分な根拠があるんだろうとは思う。
国籍と名前のどちらが大事という話は実は本質的な問題ではなくて、両者はどちらかがどちらかの包含関係になっているんじゃなくて、別々に選択できるものであるべきではないのか、ということだ。
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