母校で玉篇写本を見る。影印では使うけど、国宝の原本を見るのは初めてだった。神保町に移動して古書店めぐり。図書館でガツガツコピーした影印本が安く出ていたので購入する。えー。コピーしたの無駄じゃんか。うれしいけど。
エチオピアでカレー後、「一般の人にも来やすい工夫」との触れ込みである古書展を冷やかして、やっぱり敷居高いよと思いつつ(投機的な目的のプロがうごめいてるんだから当たり前だ)、せっかく近くだしってことで秋葉原へ。3年ぶりくらい?また変わってるなー。数メートルおきに立っている道しるべがごときメイド風女性に、台湾のビンロウ売り小姐を思い出す。どっちも取扱商品の効能は幻覚作用だろうが。神保町から秋葉原近辺には、頭おかしそうな人がたくさんいて楽しい。
歩き疲れたので少し休憩して、上野のasahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展(東京都美術館)。まあ一応のつもりが、ちょっと驚く規模の展覧会だった。影印叢刊がようやく完結したことの記念とのことで、国宝重文級がこれでもかと400数十点並ぶ。日本語史のテキストとして有名なやつがたくさん。それにしても800年間、展示されていない分も含めて、これだけのテクストをよく蓄積したものだと思う。ずいぶん見たと思って、そろそろ終わりだと思ったらまだ1/3くらいで、最後は閉館の雰囲気に押されるようにして駆け足で見た。いやー満腹。
文献は権力のあるところに集中する、というのを東京で、という意味でも体験したし、冷泉家や五島家という意味でも体験した。とりわけ冷泉家の展覧会では、そもそも書くこと自体も権力を背景とすることをまざまざと見ることができた。現代でも、書くことは、大まかに言って時間と金によって階級化されている。紙や筆が今と比べ物にならないほど貴重だった過去においては、言わんやをや、だ。書かれたものに基づいて構築する日本語史は、そうした背景に不可避的に制限を受けていることを、改めて忘れずにおこう。
エチオピアでカレー後、「一般の人にも来やすい工夫」との触れ込みである古書展を冷やかして、やっぱり敷居高いよと思いつつ(投機的な目的のプロがうごめいてるんだから当たり前だ)、せっかく近くだしってことで秋葉原へ。3年ぶりくらい?また変わってるなー。数メートルおきに立っている道しるべがごときメイド風女性に、台湾のビンロウ売り小姐を思い出す。どっちも取扱商品の効能は幻覚作用だろうが。神保町から秋葉原近辺には、頭おかしそうな人がたくさんいて楽しい。
歩き疲れたので少し休憩して、上野のasahi.com : 朝日新聞社 - 冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展(東京都美術館)。まあ一応のつもりが、ちょっと驚く規模の展覧会だった。影印叢刊がようやく完結したことの記念とのことで、国宝重文級がこれでもかと400数十点並ぶ。日本語史のテキストとして有名なやつがたくさん。それにしても800年間、展示されていない分も含めて、これだけのテクストをよく蓄積したものだと思う。ずいぶん見たと思って、そろそろ終わりだと思ったらまだ1/3くらいで、最後は閉館の雰囲気に押されるようにして駆け足で見た。いやー満腹。
文献は権力のあるところに集中する、というのを東京で、という意味でも体験したし、冷泉家や五島家という意味でも体験した。とりわけ冷泉家の展覧会では、そもそも書くこと自体も権力を背景とすることをまざまざと見ることができた。現代でも、書くことは、大まかに言って時間と金によって階級化されている。紙や筆が今と比べ物にならないほど貴重だった過去においては、言わんやをや、だ。書かれたものに基づいて構築する日本語史は、そうした背景に不可避的に制限を受けていることを、改めて忘れずにおこう。
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