今回の日本語学会は、なんか不思議な大会だったなー。企業セミナーみたいな話もあったし、内部告発みたいな話もあった。もちろんきちんとした研究の方が多かったんだけど、正直、印象はそちらに持って行かれた感じがする。なんかもう、詳しくはここには書けない感じ。シンポジウム「漢字文化と日本語の未来」は、常用漢字への追加漢字の話題もあって(→asahi.com:「鶴」「亀」「尻」…常用漢字の追加候補 220字公表 - 文化一般 - 文化・芸能)、いい意味で波乱含みな企画だったのに、結果的にそんな釣りには乗らないぞ~という会場の空気があらぬ方向に向かって、あんまり良くない展開を見せた。
むしろ学会後のこじんまりとした飲み会で、教育の現場ではどうして漢字や送りがなや同訓異字の書き分けに、あんなにやっきになっているんだろうと話したことの方がずっと楽しかったなー。中でも面白かったのは、漢字の話題ではないんだけど、原稿用紙の使い方に関わる話。原稿用紙は、その名の通り「原稿」のための用紙なのであって、正式なものではないのだと。いずれ写植されて印刷される前段階のものなのであって、印刷物への移し替えが効率的に行われるためのルールがいわゆる原稿用紙の使い方である、というわけ。したがって原稿用紙の使い方が一人歩きして、ルールを守らないと×にするという話は本末転倒で、写植する人にとって見やすくするというのが本義。なるほどなあと思った。原稿用紙の書き方に異様にこだわる現場は、いったい何のためにやっているんだろう?と問うべきと思う。wikipedia(→原稿用紙 - Wikipedia)、近代の作家たちの原稿料払いの規格化と関係があるような書き方がされているが、まあ飲み屋の吹き上げ話なんでそもそもが正確さは保留しなきゃなんないでしょうね。
そいで久しぶりにその後ゴールデン街に流れる。友人と軽く飲んで帰宅。ふう。
むしろ学会後のこじんまりとした飲み会で、教育の現場ではどうして漢字や送りがなや同訓異字の書き分けに、あんなにやっきになっているんだろうと話したことの方がずっと楽しかったなー。中でも面白かったのは、漢字の話題ではないんだけど、原稿用紙の使い方に関わる話。原稿用紙は、その名の通り「原稿」のための用紙なのであって、正式なものではないのだと。いずれ写植されて印刷される前段階のものなのであって、印刷物への移し替えが効率的に行われるためのルールがいわゆる原稿用紙の使い方である、というわけ。したがって原稿用紙の使い方が一人歩きして、ルールを守らないと×にするという話は本末転倒で、写植する人にとって見やすくするというのが本義。なるほどなあと思った。原稿用紙の書き方に異様にこだわる現場は、いったい何のためにやっているんだろう?と問うべきと思う。wikipedia(→原稿用紙 - Wikipedia)、近代の作家たちの原稿料払いの規格化と関係があるような書き方がされているが、まあ飲み屋の吹き上げ話なんでそもそもが正確さは保留しなきゃなんないでしょうね。
そいで久しぶりにその後ゴールデン街に流れる。友人と軽く飲んで帰宅。ふう。
コメント
シンポジウムでは、僕は歴史文献が専門なので、日本語「研究」の未来にも話が及ぶかなあと思ったのですが、期待しすぎでしたかね。
ウェブマガジンのほう、以前にもちょっとだけ読ませてもらったことがあります。また読みに行きまーす。