佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』(→ディスカヴァー デジタルブックストア)読了。電子書籍の本なので、生まれて初めて、電子書籍の形式で本を読んだ。
今年の3月は、山のような書類を電子化しようと決意して、黙々とスキャン作業に取り組んだ。すでにniji wo mita: 電子化作業:上から下へのTLで記したように、これが生活の質や研究の質をただちに上げるようなことは想定しにくいが、物理的スペースは明らかに生まれたし、論文に関して言えば正確さに留保はあるものの全文検索ができるようになった。
そうやって電子化自体の作業が進むと、当然のことながら今度はそれをどうやって読んだり利用したりするか、ということに興味が移る。A4にコピーした論文をそのままスキャンすると、横長の画面には合うがiPod Touchには合わないなどのきわめて具体レベルに落とし込んだ議論もあるが、それはまた別の機会に書きたい。
* * * * *
本書を読む興味の方向性は、自分でコピーした論文や書類だけではなくて、出版システムや本を読む行為自体など、もうちょっと大きな視点でこの現象を俯瞰してみたかったからだった。
アマゾンのキンドルとアップルのiPadの戦いは面白かった。キンドルの方が「読書」に特化したデバイスで、目に優しくモバイルデバイスとPCとでしおりの同期が取れるといったあたりに興味が惹かれる。が、この戦いは既存の「読書」行為に近づく戦いではなく、新しいビジネスモデルの覇者を奪い合うものであるから、我々一ユーザーは雌雄が決するのを待つほかないのかもしれない。
セルフパブリッシングと本のフラット化は、本の流通の多様化を促進するとのこと。乱暴にまとめれば、再販制度に支えられたマスな商売はもはやダメなので、ソーシャルネットワークサービスなどを使ってニッチな世界が今後は展開するとのこと。その時に、タブレットとタブレットを介したビジネスが下支えとなるとの話だった。
私見では、そうなればそうなったで、多様化への牽制として「読まれるべき電子書籍」が、文化庁マンガ賞みたいな形で掲げられることにもなっていくだろう。ニッチな分野に制度が押し寄せてといったことが起こるだろう。そして制度としての国語力が改めて強調されることにもなるだろう。それは、著者が指摘する「地方ではすでに都市志向が失われ、地元世界に閉じこもる傾向あり」「地方社会ではケータイやケータイ小説が大人気」「都市には夢、地方は淡々とした平坦な世界を生きる」といった、二極化状況への手当の形で立ちあがってくるかもしれない。
* * * * *
本書には読む行為自体がどう変化するか、といったことは記されていなかった。しかし、自分で電子書籍を読んでみて、少し感じたことをメモしておきたい。
まずディスカヴァー デジタルブックストア|ディスカヴァー デジタルブックストアでアカウントを作成し、デジタルブックを購入した。次いでT-Time ダウンロードからブックリーダをダウンロードして読む。PCでも読めるが、僕はiPod Touchで読んだ。
デジタルブックでは、本書の総ページ数は684。読後感は新書並みのボリュームなので、200ページ前後に相当するだろう。ということは、一ページ当たりの情報量が小さいことになる。これがね。読んでいると、前のページに戻る行為が何度も必要になってしまった。読書は、論旨を脳内に再構築する行為であるとも思うのだけど、それがページをめくるスピードについて行けない感じ。既存の書籍に慣れ親しんだ人間なら、ページ当たりの情報量と再構築のスピードはどこかでつながっていると思うのだよね。これ、デジタルブックの形式に慣れ親しんでいけば、脳の方もそれに適応するのだろうか、ちょっと心配になった。前段で書いたA4コピーの論文の場合は、表示形式がまた異なるので別の問題がある。これは別の機会に。
もちろんこれは、だから電子書籍を読んでいては長い見通しの思考ができない、とかいう安易な批判をするつもりでは全くない。たぶん最初からこれを読む人はそれに応じた認知の仕方をすると思う。ということで、読む行為にかかわる認知的なあり方については変わるだろうなと予感する。
あとは本当に個人的な行動に関わることなのだけど、暗闇で読めるんだよね、これは。僕はよく布団に入りながら本を読んでいたのだけれど、子どもと一緒に寝ると電気を付けるわけにはいかないので、最近は布団で本を読むことはめっきりなくなっていた。しかしiPod Touchならばそれができる!絶対目に良くないことは分かっていますが、これは結構いけた。
今年の3月は、山のような書類を電子化しようと決意して、黙々とスキャン作業に取り組んだ。すでにniji wo mita: 電子化作業:上から下へのTLで記したように、これが生活の質や研究の質をただちに上げるようなことは想定しにくいが、物理的スペースは明らかに生まれたし、論文に関して言えば正確さに留保はあるものの全文検索ができるようになった。
そうやって電子化自体の作業が進むと、当然のことながら今度はそれをどうやって読んだり利用したりするか、ということに興味が移る。A4にコピーした論文をそのままスキャンすると、横長の画面には合うがiPod Touchには合わないなどのきわめて具体レベルに落とし込んだ議論もあるが、それはまた別の機会に書きたい。
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本書を読む興味の方向性は、自分でコピーした論文や書類だけではなくて、出版システムや本を読む行為自体など、もうちょっと大きな視点でこの現象を俯瞰してみたかったからだった。
キンドルやiPadのような電子ブックを購読するのにふさわしいタブレット。
これらのタブレット上で本を購入し、読むためのプラットフォーム。
電子ブックプラットフォームの確立が促すセルフパブリッシングと、本のフラット化。
そしてコンテキストを介して、本と読者が織りなす新しいマッチングの世界。
(pp.678-679)
アマゾンのキンドルとアップルのiPadの戦いは面白かった。キンドルの方が「読書」に特化したデバイスで、目に優しくモバイルデバイスとPCとでしおりの同期が取れるといったあたりに興味が惹かれる。が、この戦いは既存の「読書」行為に近づく戦いではなく、新しいビジネスモデルの覇者を奪い合うものであるから、我々一ユーザーは雌雄が決するのを待つほかないのかもしれない。
セルフパブリッシングと本のフラット化は、本の流通の多様化を促進するとのこと。乱暴にまとめれば、再販制度に支えられたマスな商売はもはやダメなので、ソーシャルネットワークサービスなどを使ってニッチな世界が今後は展開するとのこと。その時に、タブレットとタブレットを介したビジネスが下支えとなるとの話だった。
私見では、そうなればそうなったで、多様化への牽制として「読まれるべき電子書籍」が、文化庁マンガ賞みたいな形で掲げられることにもなっていくだろう。ニッチな分野に制度が押し寄せてといったことが起こるだろう。そして制度としての国語力が改めて強調されることにもなるだろう。それは、著者が指摘する「地方ではすでに都市志向が失われ、地元世界に閉じこもる傾向あり」「地方社会ではケータイやケータイ小説が大人気」「都市には夢、地方は淡々とした平坦な世界を生きる」といった、二極化状況への手当の形で立ちあがってくるかもしれない。
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本書には読む行為自体がどう変化するか、といったことは記されていなかった。しかし、自分で電子書籍を読んでみて、少し感じたことをメモしておきたい。
まずディスカヴァー デジタルブックストア|ディスカヴァー デジタルブックストアでアカウントを作成し、デジタルブックを購入した。次いでT-Time ダウンロードからブックリーダをダウンロードして読む。PCでも読めるが、僕はiPod Touchで読んだ。
デジタルブックでは、本書の総ページ数は684。読後感は新書並みのボリュームなので、200ページ前後に相当するだろう。ということは、一ページ当たりの情報量が小さいことになる。これがね。読んでいると、前のページに戻る行為が何度も必要になってしまった。読書は、論旨を脳内に再構築する行為であるとも思うのだけど、それがページをめくるスピードについて行けない感じ。既存の書籍に慣れ親しんだ人間なら、ページ当たりの情報量と再構築のスピードはどこかでつながっていると思うのだよね。これ、デジタルブックの形式に慣れ親しんでいけば、脳の方もそれに適応するのだろうか、ちょっと心配になった。前段で書いたA4コピーの論文の場合は、表示形式がまた異なるので別の問題がある。これは別の機会に。
もちろんこれは、だから電子書籍を読んでいては長い見通しの思考ができない、とかいう安易な批判をするつもりでは全くない。たぶん最初からこれを読む人はそれに応じた認知の仕方をすると思う。ということで、読む行為にかかわる認知的なあり方については変わるだろうなと予感する。
あとは本当に個人的な行動に関わることなのだけど、暗闇で読めるんだよね、これは。僕はよく布団に入りながら本を読んでいたのだけれど、子どもと一緒に寝ると電気を付けるわけにはいかないので、最近は布団で本を読むことはめっきりなくなっていた。しかしiPod Touchならばそれができる!絶対目に良くないことは分かっていますが、これは結構いけた。
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