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微積分のノートから

実家の大掃除によって、高校時代の微積分のノートが出土(平成2,1992)。「一般解と特殊解」「減衰曲線」というメモとともに長い数式が淡々と記されており、末尾に「QED」とかドヤ顔で書いてある。間違いなく自分の字ではあるものの、内容に全く覚えがない。丁寧な書きぶり、時折「分からない」「ここはあとまわし」などと書いてあるところを見ると、真剣に取り組んだようではある。なのに覚えてない。俺の高校数学の意味は何だったんだろうと思った。

しかし長い数式を見ながら思い出したこともある。数学の不思議なところはその原理原則を深く理解しなくても、正しい手続きに我慢強くついていけば、最後は万人が同じ答えに至るという確信だ。これ、歴史修正主義的に書いているのではない。長い数式を書いている時、いつも不安だったことを覚えている。答えを見て「良かった正しかった」と思う時、手続きは間違っていなかったと安堵する。だから数学が「やれている」と実感するのは、手続きが身体化され信頼した時だった。

振り返って自分が数学をやったことの意味を問うなら、手続きを固めれば解答を信じて良い時があるということだと思う。考えてみれば、今の自分の研究スタイルもそうだし、物の考え方もそうだ。推論のプロセスを重んじる時がある。設定した手続き、作業仮説に付いて行っているときは、今も不安だ。出た答えが直観的におかしい時などは特にそうだ。しかし一方でプロセスを固めたんだからそうなるしかないと信じた結果、そのほうがうまく処理できるということも多い。で、今でも感じるそうした不安は高校の時に感じていた不安と同じものだ。

学んだことのうち、可視化されているのは数式だった。数式はすっかり忘れてしまったが、だからといって学んだことの意味がなくなったわけではなかった。学校教育というのはそっちのほうが本当なのだろうと思う。

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