仙台出張からこのかた休む暇が全くないまま5日目、ようやく休日が取れた。パプアは人口の8割がカトリックなのに、少ないムスリムの休日のために、公的機関はすべて休みとなるようだ(wikipedia-インドネシア-祭日の項目によれば、中華系・ヒンズー教徒・ムスリム・仏教・キリスト教の祭日がそれぞれ定められていて、多宗教への権利保護?みたいなことになっているのが面白い)。街は中東の音楽に乗せてコーランらしき読経がひびき、また近づく真夏の聖誕祭の聞き慣れたメロディー、でもリズムは南国らしいどこかゆったりとしたアレンジで、多宗教多音楽が綾をなしている。



落書き3種。ピューと吹くジャガーみたいのと、インドネシア語?によるものと、すきっ歯の人間。
午前中は空港近くのセンタニ湖へ。2台の車に分乗したのだが、僕の乗った車はどういう配慮かパプア人ばかりでなんかもうすごく楽しい。日本語とインドネシア語を混ぜ混ぜで会話。言語圧が低いのが気持ちいい。センタニ湖にはいくつも島があり、周辺も含めていろいろな部族と言葉があるようだ。湖に到着後、モーターボートで島の一つに向かう。モーターボートでは日本で教えたことのあるバニアイ族の男性からエカリ語を教わる。パプア諸語のなかでは決してマイノリティではないのだが、日本からきた僕が一言二言エカリ語を話すのを聞いて大喜びしていたのは、身体化した母語が他者に模倣され反復される喜びか。数詞も録音する。wikipediaのパプア諸語の項目が増えてる!昨年見たときは全然だったのに。英語版のほうが若干詳しいか(Ekari languageとかね)。米国アマゾンで購入したことないのであれですけど、"Papuan Pasts: Cultural, Linguistic and Biological Histories of Papuan-speaking Peoples."(→amazon)なんての出てますね。


湖面にせり出した水上家屋。生活廃水をバケツにためて湖面にえいやっと。洗濯は湖に腰まで使ってゴシゴシやってた。体を洗う人も…。生活のための湖ですね。

湖の奥まったところにある島では、パプアの伝統的な主食サゴヤシの精製?を行っていた。葛湯をもう少しもったりさせた感じにして食べる。
到着した島では地元のおじいさんに昔話を聞く。国生み伝説や戦時中の日本軍の話。ここでもポスト植民地話。
お昼は湖畔のレストランで。食前に悪のりしたパプア人の奨めに悪のりして人生初のビンロウを試す。インドネシア語ではピナン。ビンロウを例にした、このあたりの異なる言語の音韻対応について、何かで読んだことがあるので感慨深い…などと思うまもなく酩酊。アルカロイド系成分を含むため、軽い興奮と酩酊が…(wikipedia)。台湾では親戚たちから食べちゃだめだと言われ、行く度に気になっていたビンロウ。母に食べてはだめだといわれていたものを食べる喜び、禁忌を破る喜びは普遍的なはず。
午後はパプアニューギニアとの国境まで遊びに行く。ジャングルを切り開いて作ったアスファルトの道路を車で走ると、ところどころ焼き畑農地と高床式の家が見える。国境近くの軍の検問を通過してPNGに。国境は見たところ自由な行き来が許されていて、物価の安いインドネシアに買い物に来たPNGの人々であふれ返っている。インドネシア側から訪れる観光客目当ての屋台で、オクサマへのおみやげを買う。インドネシア語で値段交渉を試みるも足元を見られて高い値段で買わされてしまった。

戻る道すがら小さな露店でバナナを食べる。母がよく日本のバナナはまずい、地元で取れたバナナを一度食べてみなさいと言っていたのを思い出した。思えば台湾では食べていなかった。試しに一房買って食べてみるとめちゃくちゃうまい。酸味と甘みが深い。台湾のと味は違うんだろうか。
夜はホテルで催されている日本食フェアにのっかる。刺身が食べられるなんて、と何十年も両国の友好とパプアの発展に尽力された方がいう重みは僕などには想像できないものがある。メニューは漢字が併記されるが全く意味をなしていないのが面白い。この手のエスニックビジネスには各国で共通するものがあると思う。


落書き3種。ピューと吹くジャガーみたいのと、インドネシア語?によるものと、すきっ歯の人間。
午前中は空港近くのセンタニ湖へ。2台の車に分乗したのだが、僕の乗った車はどういう配慮かパプア人ばかりでなんかもうすごく楽しい。日本語とインドネシア語を混ぜ混ぜで会話。言語圧が低いのが気持ちいい。センタニ湖にはいくつも島があり、周辺も含めていろいろな部族と言葉があるようだ。湖に到着後、モーターボートで島の一つに向かう。モーターボートでは日本で教えたことのあるバニアイ族の男性からエカリ語を教わる。パプア諸語のなかでは決してマイノリティではないのだが、日本からきた僕が一言二言エカリ語を話すのを聞いて大喜びしていたのは、身体化した母語が他者に模倣され反復される喜びか。数詞も録音する。wikipediaのパプア諸語の項目が増えてる!昨年見たときは全然だったのに。英語版のほうが若干詳しいか(Ekari languageとかね)。米国アマゾンで購入したことないのであれですけど、"Papuan Pasts: Cultural, Linguistic and Biological Histories of Papuan-speaking Peoples."(→amazon)なんての出てますね。
湖面にせり出した水上家屋。生活廃水をバケツにためて湖面にえいやっと。洗濯は湖に腰まで使ってゴシゴシやってた。体を洗う人も…。生活のための湖ですね。
湖の奥まったところにある島では、パプアの伝統的な主食サゴヤシの精製?を行っていた。葛湯をもう少しもったりさせた感じにして食べる。
到着した島では地元のおじいさんに昔話を聞く。国生み伝説や戦時中の日本軍の話。ここでもポスト植民地話。
お昼は湖畔のレストランで。食前に悪のりしたパプア人の奨めに悪のりして人生初のビンロウを試す。インドネシア語ではピナン。ビンロウを例にした、このあたりの異なる言語の音韻対応について、何かで読んだことがあるので感慨深い…などと思うまもなく酩酊。アルカロイド系成分を含むため、軽い興奮と酩酊が…(wikipedia)。台湾では親戚たちから食べちゃだめだと言われ、行く度に気になっていたビンロウ。母に食べてはだめだといわれていたものを食べる喜び、禁忌を破る喜びは普遍的なはず。
午後はパプアニューギニアとの国境まで遊びに行く。ジャングルを切り開いて作ったアスファルトの道路を車で走ると、ところどころ焼き畑農地と高床式の家が見える。国境近くの軍の検問を通過してPNGに。国境は見たところ自由な行き来が許されていて、物価の安いインドネシアに買い物に来たPNGの人々であふれ返っている。インドネシア側から訪れる観光客目当ての屋台で、オクサマへのおみやげを買う。インドネシア語で値段交渉を試みるも足元を見られて高い値段で買わされてしまった。
戻る道すがら小さな露店でバナナを食べる。母がよく日本のバナナはまずい、地元で取れたバナナを一度食べてみなさいと言っていたのを思い出した。思えば台湾では食べていなかった。試しに一房買って食べてみるとめちゃくちゃうまい。酸味と甘みが深い。台湾のと味は違うんだろうか。
夜はホテルで催されている日本食フェアにのっかる。刺身が食べられるなんて、と何十年も両国の友好とパプアの発展に尽力された方がいう重みは僕などには想像できないものがある。メニューは漢字が併記されるが全く意味をなしていないのが面白い。この手のエスニックビジネスには各国で共通するものがあると思う。
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