よしながふみ「大奥」(→amazon)を1から3まで一気読み。ユーゾッタさんをはじめ、最新巻が面白いというので、ここのところよしながふみ旋風が脳内で巻き起こっている身としては速攻で飛びついてしまった。いやー、超面白かったー。いろいろ面白いんだけど、まずは、若い男子にだけ伝染する疫病のために男女比がアンバランスになってしまった江戸時代、女性中心の社会が出来上がってしまったという実験的な設定に眼目があるんでしょうね。センス・オブ・ジェンダー賞(→wikipedia)とかいう初めて耳にする賞を受賞しているようだし(センス・オブ・ワンダーのもじりか)。寺沢武一がセンス・オブ・ワンダーは古典に見出せとしたように、よしながふみは幕藩体制に見出せと。いや違うか。姫である三代将軍家光と還俗坊主の恋物語も萌えるものが(初めて使ったこの単語!)あるが、やっぱり至るところに仕込まれているジェンダーバイアスへのチクリとした一刺しからして、ジェンダーものとして明確に意図されて描かれてるよ、近代文学の人~!よくできてるからこれ。つかこの人慶応の大学院にも進んだ人だったんだ(→wikipedia)。慶応萌え~。←全然使い方を間違えている。
子どもが友人たちと「お尻はいくつか」という論争を楽しんだらしい。友人たちの意見が「お尻は2つである」、対してうちの子どもは「お尻は1つである」とのこと。前者の根拠は、外見上の特徴が2つに割れていることにある。後者の根拠は、割れているとはいえ根元でつながっていること、すなわち1つのものが部分的に(先端で)2つに割れているだけで、根本的には1つと解釈されることにある。白熱した「お尻はいくつか」論争は、やがて論争参加者の現物を実地に確かめながら、どこまでが1つでどこからが2つかといった方向に展開したものの、ついには決着を見なかったらしい。ぜひその場にいたかったものだと思う。 このかわいらしい(自分で言うな、と)エピソードは、名詞の文法範疇であるところの「数(すう)」(→ 数 (文法) - wikipedia )の問題に直結している。子どもにフォローアップインタビューをしてみると、どうもお尻を集合名詞ととらえている節がある。根元でつながっているということは論争の中の理屈として登場した、(尻だけに)屁理屈であるようで、尻は全体で一つという感覚があるようだ。つながっているかどうかを根拠とするなら、足はどう?と聞いてみると、それは2つに数えるという。目や耳は2つ、鼻は1つ。では唇は?と尋ねると1つだという。このあたりは大人も意見が分かれるところだろう。僕は調音音声学の意識があるので、上唇と下唇を分けて数えたくなるが、セットで1つというのが大方のとらえ方ではないだろうか。両手、両足、両耳は言えるが、両唇とは、音声学や解剖学的な文脈でなければ言わないのが普通ではないかと思う。そう考えれば、お尻を両尻とは言わないわけで、やはり1つととらえるのが日本語のあり方かと考えられる。 もっとも、日本語に限って言えば文法範疇に数は含まれないので、尻が1つであろうと2つであろうと形式上の問題になることはない。単数、複数、双数といった、印欧語族みたいな形式上の区別が日本語にもあれば、この論争には実物を出さずとも決着がついただろうに…。大風呂敷を広げたわりに、こんな結論でごめんなさい。尻すぼみって言いたかっただけです。
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