松本克己『世界言語のなかの日本語 日本語系統論の新たな地平』(→amazon)が猛烈に面白くて、ちょっと仕事を圧迫している。著者はいわずとしれた元日本言語学会会長だった方。雑誌論文ではスルーしていたので、著者の主張は初見だった。この10数年分の論文を本にまとめたもの。忘れないうちに、以下メモ。
本書の主張は、従来不明だった日本語の系統関係による位置づけは、比較言語的手法に基づいていては無理な話で、言語類型論的な手法を用いれば、ユーラシア大陸東沿岸部から南洋諸島をぐるっと回って、北米・南米大陸の西沿岸部あたりまで広がる「環太平洋言語圏」が描けるのだ、という壮大な構想を打ち立てるところにある。そして、この手の話題にほぼ素人であるぼくが言うのもアレだが、それなりの説得力があった。
比較言語学の手法は、AとBの2つの言語について、主に音素の対応から祖語を設定し、時代を遡行して、いわば言語の親縁関係を推定していくものである。「インド・ヨーロッパ語族」などの考え方に用いられた理論として有名。ところがこの手法では、せいぜい5000年から6000年を探るのが最上限で、その先は無理だという。根拠は、スワデシュの言語統計学の成果、すなわち2つの言語が分岐してから約1000年で同源の基礎語彙が20%ほど失われる、という計算を6000年まで推し進めると、93%が失われて残りがわずか7%になってしまう。あらゆる言語には約5%くらいは偶然に一致する言葉が含まれることからすると、2つの言語が同系であるかどうかは言えなくなってしまうということにある(清水義範みたいに英語と日本語が同系であるというギャグも言えてしまう)。
5000年から6000年まで遡れるといっても、近隣に同系の言語があって、だとか、ものすごく古い歴史資料が発掘されていてだとか、いろいろな条件が整った場合の最上限なのだろう。文献資料が1000年前くらいまでしか遡れず、近隣との系統関係が不明な日本語の場合、本書では比較言語学の手法は有効ではないと結論付けている。
一方、言語類型論の手法は、音素のようにわりあい変化しやすいものではなく、語順など変化しにくいものを比較の対象とする。本書で松本氏は1万年前あたりまで言及しようとするので、言語類型論の射程はかなり深いと言えるのだろう。ちなみに人類の言語獲得がおよそ5万年前とも10万年前とも言われているので、それくらいのパースペクティブのなかでの1万年とイメージしたらいいと思う。で、松本氏は語順のほか、主につぎのようなパラメーターを設定し、分析を加えている(このほか5つのパラメーター、合計8つ)。
・流音が複式か単式か(ラ行のような音に、lとrを区別するか)
・形容詞は体言型か用言型か
・名詞に数カテゴリがあるか
流音(liquid)が単数か複数かというのは、松本氏独自の分類方法のようで、僕もはじめて触れた。これらのパラメーターごとに描かれる8枚の地図には、まさに環太平洋といった分布が認められる。言語学の基礎的な授業で教わる、比較言語学的手法に基づく分布よりも遡った言語グループを設定する地図であるから、ずいぶん大雑把にも見えなくはないが、モンゴロイドの「1万年の旅路」を思い起こせば、これは説得力あるなあと思った。
日本語の概説書に最近よく記される、言語構造は大陸系、語彙は南方系みたいな説も本書によって再考が迫られている。つまり本書の主張は、「環太平洋言語圏」の設定と同時に、従来言われていた、日本語はウラル・アルタイ系?みたいな、大陸由来の言語構造に由来しているという話をぶったぎるところにもあるのだが、そのあたりも新見が盛り込まれていて興味深い。ひとまず。
(付記)
忘れてた。この本はTeXで書かれていて、ってところも興味津々で、ここはこうやって書いてんだろーなーってのも楽しめた。内容とは全然関係ないけどね。ひとつ思ったのは、TeXって文書を構造化するのは得意なのだけど、階層を深くしすぎると却って読みにくいかも、ってこと。もちろん構造は論文にとってとても重要だ。でもそれによって読みにくくなってしまっては、本末転倒、かな。どうだろう。
本書の主張は、従来不明だった日本語の系統関係による位置づけは、比較言語的手法に基づいていては無理な話で、言語類型論的な手法を用いれば、ユーラシア大陸東沿岸部から南洋諸島をぐるっと回って、北米・南米大陸の西沿岸部あたりまで広がる「環太平洋言語圏」が描けるのだ、という壮大な構想を打ち立てるところにある。そして、この手の話題にほぼ素人であるぼくが言うのもアレだが、それなりの説得力があった。
比較言語学の手法は、AとBの2つの言語について、主に音素の対応から祖語を設定し、時代を遡行して、いわば言語の親縁関係を推定していくものである。「インド・ヨーロッパ語族」などの考え方に用いられた理論として有名。ところがこの手法では、せいぜい5000年から6000年を探るのが最上限で、その先は無理だという。根拠は、スワデシュの言語統計学の成果、すなわち2つの言語が分岐してから約1000年で同源の基礎語彙が20%ほど失われる、という計算を6000年まで推し進めると、93%が失われて残りがわずか7%になってしまう。あらゆる言語には約5%くらいは偶然に一致する言葉が含まれることからすると、2つの言語が同系であるかどうかは言えなくなってしまうということにある(清水義範みたいに英語と日本語が同系であるというギャグも言えてしまう)。
5000年から6000年まで遡れるといっても、近隣に同系の言語があって、だとか、ものすごく古い歴史資料が発掘されていてだとか、いろいろな条件が整った場合の最上限なのだろう。文献資料が1000年前くらいまでしか遡れず、近隣との系統関係が不明な日本語の場合、本書では比較言語学の手法は有効ではないと結論付けている。
一方、言語類型論の手法は、音素のようにわりあい変化しやすいものではなく、語順など変化しにくいものを比較の対象とする。本書で松本氏は1万年前あたりまで言及しようとするので、言語類型論の射程はかなり深いと言えるのだろう。ちなみに人類の言語獲得がおよそ5万年前とも10万年前とも言われているので、それくらいのパースペクティブのなかでの1万年とイメージしたらいいと思う。で、松本氏は語順のほか、主につぎのようなパラメーターを設定し、分析を加えている(このほか5つのパラメーター、合計8つ)。
・流音が複式か単式か(ラ行のような音に、lとrを区別するか)
・形容詞は体言型か用言型か
・名詞に数カテゴリがあるか
流音(liquid)が単数か複数かというのは、松本氏独自の分類方法のようで、僕もはじめて触れた。これらのパラメーターごとに描かれる8枚の地図には、まさに環太平洋といった分布が認められる。言語学の基礎的な授業で教わる、比較言語学的手法に基づく分布よりも遡った言語グループを設定する地図であるから、ずいぶん大雑把にも見えなくはないが、モンゴロイドの「1万年の旅路」を思い起こせば、これは説得力あるなあと思った。
日本語の概説書に最近よく記される、言語構造は大陸系、語彙は南方系みたいな説も本書によって再考が迫られている。つまり本書の主張は、「環太平洋言語圏」の設定と同時に、従来言われていた、日本語はウラル・アルタイ系?みたいな、大陸由来の言語構造に由来しているという話をぶったぎるところにもあるのだが、そのあたりも新見が盛り込まれていて興味深い。ひとまず。
(付記)
忘れてた。この本はTeXで書かれていて、ってところも興味津々で、ここはこうやって書いてんだろーなーってのも楽しめた。内容とは全然関係ないけどね。ひとつ思ったのは、TeXって文書を構造化するのは得意なのだけど、階層を深くしすぎると却って読みにくいかも、ってこと。もちろん構造は論文にとってとても重要だ。でもそれによって読みにくくなってしまっては、本末転倒、かな。どうだろう。
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