こないだ暇つぶしに入った書店で目にしたBURRN!(→amazon)の表紙。ビリー・シーンの老けぶりと対照的に全然かわんねえエリック・マーティンに誘い込まれるように、ひっさびさに購入してしまった。

大学院に入る時に買うのをやめたから、10年以上ぶりになる。大学のころ定期購読していた雑誌は、マンガ雑誌を除けばBURRN!だけだった。うちの奥さんに大学時代定期購読していた雑誌を尋ねると、SAPIOとPLAYBOYだけ、ってのは何で僕と結婚したのか自分でも不思議だよ。そのままネットユーザーに落ちていたら、完全にネトウヨ(笑)への流れが形成される!と思いつつ、そっかBURRN!もまあマッチョな雑誌ではあるなと一人で腑に落ちた。
で、話はBURRN!に戻るわけだが、創刊25周年記念ということで、一大クロニクルが特集されている。懐かしい単語に涙しながら(ゼロ・コーポレーションとかね)、自分が自律的に選択したと思いこんでいたことがそうでもなかったんだなとか、あのとき感じていた雰囲気はやっぱりそうだったんだ、なんてことが分かって面白かった。言ってみれば、完全にブームの流れの中にいたってことだ。MTVブームに乗っかってハードロックやメタルの隆盛が頂点に達しているころに参入して、衰退期に離脱した。
80年代のどん詰まりに、昭和が終わってSKID ROWが出てきたころからハードロックを聴きはじめた僕にとっては、確かにLAメタルはもう古くてカッコ悪い感じがしていたし、ギターの早弾きかっこいいけど、新しいスターがあんまり出てこないなあと感じていたこと。でもMTVを録画しまくって、この筋のバンドが出れば大喜びするとか。93年ごろからハードロックもメタルもあんまり面白くないなあ、と感じていたのは自分の内面的な変化が大きかったということよりも、マーケット自体が縮小して、メインはグランジとへヴィロックに移行しつつあったということとか。当時僕はやたらとメロディアスなものばかり追いかけていたので、結局そういう絶滅危惧種はゼロ・コーポレーションのいい顧客になったのだった。デスメタルが後にメロディック・デスに発展していくのを、存在自体が矛盾じゃんとか思って傍目に笑っていた、その価値観が非常にBURRN!に影響されていたんだな、とか。まあ、当時もBURRN!読みながらそんなことを何となくは感じていたけども、こうして一定のパースペクティブを持って眺めてみると、うわあ、まんまだなあと思う。
結局、89年から94年くらいまでは熱心なリスナーで、95年ごろからこのジャンルから逸脱した口だった。雑誌だけは惰性で97年頃まで購読していたか。80年代の終わりごろからスタートして90年代中期まで元気のよかった、あの時代にジャストミートしていた。
とはいえ、僕個別に生じていたこともあったわけで、その一つが90年頃にガンズに遅くして出会っていたこと。ガンズは新しいバンドだと思っていたら、高校の同級生が中学2年の時から知ってるよ、って。確かにAPPETITE FOR DESTRUCTIONは87年のアルバムだから、73年生まれの僕は中学2年の時に出会っているべきだった。が、そのころ僕にはこの手の音楽を共有するような人脈がなかったし、興味も芽生えていなかった。思うに、中学生のころのハードロック、しかも洋楽って、ちょっとワルな感じがしていたはずで、そういう人脈とつながりを持って、ちょっとワルな先輩からワルなことを教わる一環にあった音楽ではなかったかと。そこに接続するすべを持っていなかったってことかな。その理由のひとつには、そのころは1年ごとに転校を繰り返していて、趣味や内面を語りあえる友人がいなかったということも大きい。これはハードロックだけじゃなくて、当時のサブカルチャー全般に言えること。僕はこの手のサブカルチャーを、後からすべて欲望ごと取り返してきた。マンガもその一つ。
大学院に入る時に買うのをやめたから、10年以上ぶりになる。大学のころ定期購読していた雑誌は、マンガ雑誌を除けばBURRN!だけだった。うちの奥さんに大学時代定期購読していた雑誌を尋ねると、SAPIOとPLAYBOYだけ、ってのは何で僕と結婚したのか自分でも不思議だよ。そのままネットユーザーに落ちていたら、完全にネトウヨ(笑)への流れが形成される!と思いつつ、そっかBURRN!もまあマッチョな雑誌ではあるなと一人で腑に落ちた。
で、話はBURRN!に戻るわけだが、創刊25周年記念ということで、一大クロニクルが特集されている。懐かしい単語に涙しながら(ゼロ・コーポレーションとかね)、自分が自律的に選択したと思いこんでいたことがそうでもなかったんだなとか、あのとき感じていた雰囲気はやっぱりそうだったんだ、なんてことが分かって面白かった。言ってみれば、完全にブームの流れの中にいたってことだ。MTVブームに乗っかってハードロックやメタルの隆盛が頂点に達しているころに参入して、衰退期に離脱した。
80年代のどん詰まりに、昭和が終わってSKID ROWが出てきたころからハードロックを聴きはじめた僕にとっては、確かにLAメタルはもう古くてカッコ悪い感じがしていたし、ギターの早弾きかっこいいけど、新しいスターがあんまり出てこないなあと感じていたこと。でもMTVを録画しまくって、この筋のバンドが出れば大喜びするとか。93年ごろからハードロックもメタルもあんまり面白くないなあ、と感じていたのは自分の内面的な変化が大きかったということよりも、マーケット自体が縮小して、メインはグランジとへヴィロックに移行しつつあったということとか。当時僕はやたらとメロディアスなものばかり追いかけていたので、結局そういう絶滅危惧種はゼロ・コーポレーションのいい顧客になったのだった。デスメタルが後にメロディック・デスに発展していくのを、存在自体が矛盾じゃんとか思って傍目に笑っていた、その価値観が非常にBURRN!に影響されていたんだな、とか。まあ、当時もBURRN!読みながらそんなことを何となくは感じていたけども、こうして一定のパースペクティブを持って眺めてみると、うわあ、まんまだなあと思う。
結局、89年から94年くらいまでは熱心なリスナーで、95年ごろからこのジャンルから逸脱した口だった。雑誌だけは惰性で97年頃まで購読していたか。80年代の終わりごろからスタートして90年代中期まで元気のよかった、あの時代にジャストミートしていた。
とはいえ、僕個別に生じていたこともあったわけで、その一つが90年頃にガンズに遅くして出会っていたこと。ガンズは新しいバンドだと思っていたら、高校の同級生が中学2年の時から知ってるよ、って。確かにAPPETITE FOR DESTRUCTIONは87年のアルバムだから、73年生まれの僕は中学2年の時に出会っているべきだった。が、そのころ僕にはこの手の音楽を共有するような人脈がなかったし、興味も芽生えていなかった。思うに、中学生のころのハードロック、しかも洋楽って、ちょっとワルな感じがしていたはずで、そういう人脈とつながりを持って、ちょっとワルな先輩からワルなことを教わる一環にあった音楽ではなかったかと。そこに接続するすべを持っていなかったってことかな。その理由のひとつには、そのころは1年ごとに転校を繰り返していて、趣味や内面を語りあえる友人がいなかったということも大きい。これはハードロックだけじゃなくて、当時のサブカルチャー全般に言えること。僕はこの手のサブカルチャーを、後からすべて欲望ごと取り返してきた。マンガもその一つ。
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