村上春樹にそれなりにはまっていた20代から20年を過ぎ、気の効きすぎた比喩や「~というものなのだ」という物言いに「うっせーな」と思う30代を過ぎ、購入した『1Q84』を開いてみることもせず40代を迎えて『女のいない男たち』(→ ゾンアマ )を買ったった。そして読んだった。いっそ晴れた連休の最終日にベランダにキャンプ用の椅子を出してコーヒー淹れて、雰囲気出した状態で読んだった。 相変わらずだった。たぶんせっかくのコーヒーがマックスバリュのお値打ち価格ものだったのがいけない。いや、コーヒーは美味しかったんですよ。専門店のスペシャルティコーヒーじゃあなくっても、香り爆発じゃなくっても日常飲めるコーヒーというのは案外そういうもののほうが美味しいわけで。じゃあ椅子か。椅子がキャプテンスタッグなのがいけなかったか。次からはモンベルとかなんとかピークとかのにします。 テーマは例によって喪失だと思います。喪失のもつ交換不可能な感じを温度低めから高めまで織り交ぜて打ち出してきています。描いているのは喪失の普遍性なのだけど、ひとつひとつのあらゆる喪失は個別的でしかありえないと言いたげです。でも村上春樹はずっとおんなじものを書き続けてない? 良かったのは北海道のとある市町村からクレームが入ったといういわくつきの「ドライブ・マイ・カー」、早稲田文学部ものの系譜である「イエスタデイ」。預言者との出会いによって喪失に気づく「木野」です。『神の子どもたちはみな踊る』以降、短編は安定して読めています(中編も〉。良かったです。なんだか村上春樹については世上の評判に押されて素直に良かったとはいえない40代がおります。でも頑張っていま言った。
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