ひめゆりの塔というと、かつて上石神井で通い詰めていた(というほどでもないか)沖縄料理のお店でおばちゃんから「ひめゆりの塔に行くと霊障で具合が悪くなるからやめたほうがいい」と言われたことを思い出す。曰く、首が痛くなるだの、めまいがするだの、わけもなく涙がぽろぽろ出てくるだの。ところが僕は事故後1年経つのにそもそも鞭打ちの後遺症があるし、飛行機の恐怖でいまだゆらゆらしていたし、悲惨極まる歴史の爪あとを目のあたりにして涙を流すし、期せずしておばちゃんの言ったとおりになったのだった。ともあれ、田口ランディの言う「悲しみのための装置」ではないけれど、あの場所で起こったことを受け止める装置としてオカルト的言説が用いられることはあるだろう。
さてそこで、というのはあまりに不謹慎極まりないかも知れないが、同僚から借りた『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』(→amazon)は高度成長期の終末とともに日本に立ち現れた心霊ブーム、妖怪ブーム、UFO、超能力ブームを丹念に読み解いたもの。読んでないけどexpopで紹介されていた『UFOとポストモダン』(→amazon)なんかと同じ枠組みに基づいて書かれているように思った。
余談だが阪神大震災で幸いにも無事だった友人から、「なぜ自分が生き残ったのかというと、それは運命からの生きろというメッセージなんだ」とか「選ばれたんだ」とか言う話を聞いたことがある。また僕が昨年追突事故に巻き込まれて首を痛めたときも、その半年前に偶然訪れた山形の心霊スポットの影響であることをわざわざ伝えに来る学生がいた。インパクトのあるできごとにさらされると、非合理的な世界を持ち出し、秩序の回復を図ろうとするのは普遍的なことなのだろうと思う。
さてそこで、というのはあまりに不謹慎極まりないかも知れないが、同僚から借りた『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』(→amazon)は高度成長期の終末とともに日本に立ち現れた心霊ブーム、妖怪ブーム、UFO、超能力ブームを丹念に読み解いたもの。読んでないけどexpopで紹介されていた『UFOとポストモダン』(→amazon)なんかと同じ枠組みに基づいて書かれているように思った。
余談だが阪神大震災で幸いにも無事だった友人から、「なぜ自分が生き残ったのかというと、それは運命からの生きろというメッセージなんだ」とか「選ばれたんだ」とか言う話を聞いたことがある。また僕が昨年追突事故に巻き込まれて首を痛めたときも、その半年前に偶然訪れた山形の心霊スポットの影響であることをわざわざ伝えに来る学生がいた。インパクトのあるできごとにさらされると、非合理的な世界を持ち出し、秩序の回復を図ろうとするのは普遍的なことなのだろうと思う。
コメント