学会中日のお楽しみ観光は、せっかく初めての沖縄なので首里城とか!と思ったら80歳になる師匠の企画コースで南部戦跡めぐり。戦争体験者の教育的配慮というか、広島で学会のときに原爆ドーム行かずに厳島神社で鹿と戯れていた僕を牽制すべく、ひめゆりの塔とか見て来いよと。ひめゆり平和祈念資料館。書籍などでちょっとは知ってはいたけど、とにかくこの資料館はよくできている。太平洋戦争の最終防衛ラインに立たされて日本の「周縁」として切り捨てられた残酷さは、左翼的に語られる反戦メッセージとは別に、決して忘れてはいけない歴史的事実だということを改めて思い知らされた。沖縄県平和祈念資料館は、平和を訴えるべく沖縄受難の歴史的事実のレイヤーを何枚も重ねて、琉球王国から戦後沖縄までの歴史が俯瞰できるようなつくりになっていた。主レイヤーはやはり近代以降の同化政策と太平洋戦争、米軍基地であるが、特に同化政策に用いられた「国語」と「方言撲滅運動」についての資料が見られたのは良かった。本物の「方言札」も初めて目にすることができた。
というような歴史の暗がりを体験することで消耗した体力を取り戻すべく、連夜店みせで泡盛。地元のじいさんやおかみさんと意気投合して飲んで語る。行く先々で「お兄さん地元の人?」とか言われるのは、空港に降り立ったときから、白い土や植生、彫りが深く浅黒い人々の顔を見るにつけ親近感を抱いていたよ。何しろ「本土」より台湾のほうがずっと近いからね。気温25度前後、半そでですごしていたのが、山形に戻ってみれば初雪。このギャップのダイナミックさがー、とか語りたくなるのは、学会講演会も含め、アイヌ・エミシなどからプロトジャパニーズを語ろうとする言説を浴びてきたからでしょうか。
というような歴史の暗がりを体験することで消耗した体力を取り戻すべく、連夜店みせで泡盛。地元のじいさんやおかみさんと意気投合して飲んで語る。行く先々で「お兄さん地元の人?」とか言われるのは、空港に降り立ったときから、白い土や植生、彫りが深く浅黒い人々の顔を見るにつけ親近感を抱いていたよ。何しろ「本土」より台湾のほうがずっと近いからね。気温25度前後、半そでですごしていたのが、山形に戻ってみれば初雪。このギャップのダイナミックさがー、とか語りたくなるのは、学会講演会も含め、アイヌ・エミシなどからプロトジャパニーズを語ろうとする言説を浴びてきたからでしょうか。
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