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しかしわたしはあなたと共にある

本棚にいい加減に差し込んである遠藤浩輝『EDEN』の1巻をオクサマが発見して、先が読みたいから残りを段ボール箱からサルベージせよとの命令。ミイラ取りがミイラ取りになって、思わず再読してしまった。久しぶりに読むと新しい発見があったりする。

EDENの面白さは、近未来SFの体裁をなしながら、世界の権力再編後にも生じている経済や生活の南北格差と、民族や宗教の対立をリアルに描いているところにあると思う。で、第16巻(→amazon)の、105話~107話「Icon」という小さな話の連なりが、宗教的な美しさに彩られていて思わず背筋がぞわっとなってしまった。




以下、どんな話かっつーと、という話。

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この掌編の舞台はインド。世界観がかなり作りこまれているので簡単に説明するのが難しいのだけど、地球レベルの地殻変動の結果、被災者があふれるなかで、ヒンドゥーとムスリムの対立による無差別な殺し合いが続く。世界政府だか赤十字だかから届く医薬品などの救援物資や救助のための最新技術は、高い社会階層にばかりつぎ込まれたりするし、残りの物資も民族同士の奪い合いの憂き目にあって、災害時にも関わらず殺し合いが繰り返し起こる。「Icon」で主役として描かれるのは、物語では端役のラヴィ・シヴァン医師という登場人物だが、医師の職責を果たそうにも、手当をした矢先に虐殺されたりするので途方もない虚無感に襲われている。

で、EDENのSF設定であるところの、ウイルス進化がもたらした人類のあたらしい集合結晶体コロイド。コロイドは人間が作り出した民族や宗教、階層などの価値にかかわらない。したがって悲しみや絶望にさらされた弱き人々は、この世で生きるよりもコロイドとして生きることを選び始める。周縁として生きざるを得ない世界中の人たちは、絶望の末、こぞってコロイドに入ってゆく。医師であるラヴィも絶望に蝕まれ始めるころ、枕元にかつてコロイドに飲み込まれた妻が立ち、「こちら側」で生き続けることに疑問を持たされる。

そこへ、もう一つのSF設定であるところの、AIプログラム、マーヤが現れる。物語ではマーヤは預言者のような存在。マーヤは「世界を救うこと」が自分の目的であるといい、コロイドが作り出す新しい人類の可能性について説く。ラヴィは荒廃した丘の上で、コロイドに入ろうとするが、すんでのところで思いとどまり踵を返す。振り返るとそこへマーヤと対をなすプログラム、レティアが現れる。レティアは「救う」とは言わない。ただ自分を「憶えておいて 私はあなた達と共にある者」と言う。レティアの預言を受け、ラヴィは再び医師として絶望の世界を歩みだす。

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このレティアの預言のシーンがすごく美しい。おそらく神話の焼き直しのシーンなのだろう。作中でもマーヤーは釈尊の母、サンスクリットで「意図的なる変化」などと述べられているし、グノーシス主義もあちこちに織り込まれている。マーヤとレティアの二元論的宇宙の把握みたいなのも神話っぽい。そのへんは全然詳しくないのでパス。

ともあれ、助けはしない、しかしわたしはあなたと共にあるという宗教的なメッセージがすんでのところで人を歩みに向けるシークエンスには背筋がぞわっとなった。人が根源的なレベルで絶望から歩きだせるとしたら、こういうあり方しかないと思う。

あ、EDENは全18巻です。

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