ジョー・マーチャント『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』(→amazon)読了。finalventさんが書評されているのを読んで(→[書評]アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント): 極東ブログ, 2009-05-07 - finalventの日記)すぐ手に入れた。アンティキテラの機械(Antikythera mechanism)の画像がネットでも公開されているので、以下(ファイル:NAMA Machine d'Anticythère 1.jpg - Wikipedia)。

中学生のころだったか、友人の家にあった「ムー」に掲載があったような記憶がある。つまりこれは、少なくとも20年前はオーパーツとしても扱われていた。20世紀初頭にアンティキテラ島沖海底からこれが発見されてから、紆余曲折を経てデレク・デ・ソーラプライスという研究者が最初の体系的な研究を行い、別の研究者マイケル・ライトが批判的に受け継ぐまでの時期。SFやオカルトで面白おかしく取り上げられた時期なのだと思う。90年代から00年代に、現代のコンピュータによる技術力でその正体が明らかにされるまで、より厳密にいえば2006年11月発行の「ネイチャー」誌で報告されるまで、この「謎」の機械はオーパーツファンのものだったのかもしれない。
本書のほとんどは、この100年にわたるアンティキテラの解明史に費やされている。ほとんどプロジェクトX的なノリなので、そういうのが楽しめる人は間違いなく楽しめるだろう。あるいは何かが解明されるプロセスが好きな人も楽しめると思う。僕はどちらかというと後者だった。ほとんど古代文字が解読されるときの興奮に近いものがあった(チャドウィック『線文字Bの解読』(→amazon)とか)。
この機械が何をするものだったのかは、ネタバレになるので書かないが、「当時の科学に対する知識ではこれが作られたはずはない」ということは当時の天文学的な知識の水準に照らし合わせて、明確に否定される。本書では非常に精密な歯車の仕掛けが明らかにされるが、それは確かに約2000年前のギリシャに存在していた。とすると、これがオーパーツではないことの筋道立てとしては、この技術がどこに伝えられ、またどこで失伝したかことの後付けにかかっているだろう。
実は個人的に一番考えさせられたのは、本書の最終章だった。この機械は、バビロニアの天文学者たちによる観測データが、粘土板を通じてギリシャにもたらされ、幾何学的な知と技術力に埋め込まれ形をなす。しかし実利を重んじるローマによってその知的財産がヨーロッパ世界では失われる。ところがどうもその原理は単純化された形でイスラム世界に受け継がれ、アラビア科学として昇華されたものが、十字軍の時代、中世になってヨーロッパのラテン語世界に再度持ち込まれる。結果、アンティキテラの機械に込められていた技術は、われわれの前に時計となって受け継がれた、と著者ジョー・マーチャントは推測する(アンティキテラの機械は時計ではない)。しかしアンティキテラの機械と、時計を結び付ける歴史的な導線は、いまだ目に見える形では実証されていない。失われた伝承のリンクは、いまだイスラム社会の未整理な文献の山の中に眠っているだろうとされる。
オーパーツに見える、「何だかわからない古代の超科学」みたいな、ものをSF的でなく、科学史の文脈で説明できたということが、僕にとって一番面白いところだった。それでも、人によっては、人類の月面到達が、月をファンタジーの世界から引きずりおろした、というようなことを言うのかな。宇宙人や怪物を持ち出すのではなく、科学史によって十分に吟味されることで、説明がつくものはたくさんあるのだろう。
中学生のころだったか、友人の家にあった「ムー」に掲載があったような記憶がある。つまりこれは、少なくとも20年前はオーパーツとしても扱われていた。20世紀初頭にアンティキテラ島沖海底からこれが発見されてから、紆余曲折を経てデレク・デ・ソーラプライスという研究者が最初の体系的な研究を行い、別の研究者マイケル・ライトが批判的に受け継ぐまでの時期。SFやオカルトで面白おかしく取り上げられた時期なのだと思う。90年代から00年代に、現代のコンピュータによる技術力でその正体が明らかにされるまで、より厳密にいえば2006年11月発行の「ネイチャー」誌で報告されるまで、この「謎」の機械はオーパーツファンのものだったのかもしれない。
本書のほとんどは、この100年にわたるアンティキテラの解明史に費やされている。ほとんどプロジェクトX的なノリなので、そういうのが楽しめる人は間違いなく楽しめるだろう。あるいは何かが解明されるプロセスが好きな人も楽しめると思う。僕はどちらかというと後者だった。ほとんど古代文字が解読されるときの興奮に近いものがあった(チャドウィック『線文字Bの解読』(→amazon)とか)。
この機械が何をするものだったのかは、ネタバレになるので書かないが、「当時の科学に対する知識ではこれが作られたはずはない」ということは当時の天文学的な知識の水準に照らし合わせて、明確に否定される。本書では非常に精密な歯車の仕掛けが明らかにされるが、それは確かに約2000年前のギリシャに存在していた。とすると、これがオーパーツではないことの筋道立てとしては、この技術がどこに伝えられ、またどこで失伝したかことの後付けにかかっているだろう。
実は個人的に一番考えさせられたのは、本書の最終章だった。この機械は、バビロニアの天文学者たちによる観測データが、粘土板を通じてギリシャにもたらされ、幾何学的な知と技術力に埋め込まれ形をなす。しかし実利を重んじるローマによってその知的財産がヨーロッパ世界では失われる。ところがどうもその原理は単純化された形でイスラム世界に受け継がれ、アラビア科学として昇華されたものが、十字軍の時代、中世になってヨーロッパのラテン語世界に再度持ち込まれる。結果、アンティキテラの機械に込められていた技術は、われわれの前に時計となって受け継がれた、と著者ジョー・マーチャントは推測する(アンティキテラの機械は時計ではない)。しかしアンティキテラの機械と、時計を結び付ける歴史的な導線は、いまだ目に見える形では実証されていない。失われた伝承のリンクは、いまだイスラム社会の未整理な文献の山の中に眠っているだろうとされる。
オーパーツに見える、「何だかわからない古代の超科学」みたいな、ものをSF的でなく、科学史の文脈で説明できたということが、僕にとって一番面白いところだった。それでも、人によっては、人類の月面到達が、月をファンタジーの世界から引きずりおろした、というようなことを言うのかな。宇宙人や怪物を持ち出すのではなく、科学史によって十分に吟味されることで、説明がつくものはたくさんあるのだろう。
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