赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(→amazon)読了。民俗誌(エスノグラフィー)的な読みものとして、またはある種の実録ものとして大変面白く読めた。「童貞処女が結ばれる美しい結婚像」が近代以降の虚像であるとするには十分な鉄槌だけど、これをもって近代以前の農村における性規範が客観的に描けているかというとそれはチガウと思った。文化人類学の参与観察でいわれる、「観察者の視点が対象を大きく規定する危険」が全体的にどんより漂いすぎ。生き生きとした会話のやり取りも、ドキュメントを書き溜めてではなく、記憶をたどって物語的に再構成したもの(であることがわかる)。こういう質的研究(⇔量的研究)は研究者の体を通って出てくることについて最初から客観性を確保することなんて考えず(そんな客観性なんて信じてないから)、むしろ研究者が対象との相互行為を通じて構築された物語?を分析するってところが醍醐味なんだろう。
とか思ってたら思い切り量的な研究であるところの抜き刷りが届いた。自分用抜き刷り渡されても本当に困る。誰かにあげる予定のない包みがこうして部屋の片隅にまた積まれる…。論文なんてそもそも雑誌で読めばいいと思うし、必要なら自分でコピーするでしょう、というのはあまりに相互行為を重視していない発言ですかね。
とか思ってたら思い切り量的な研究であるところの抜き刷りが届いた。自分用抜き刷り渡されても本当に困る。誰かにあげる予定のない包みがこうして部屋の片隅にまた積まれる…。論文なんてそもそも雑誌で読めばいいと思うし、必要なら自分でコピーするでしょう、というのはあまりに相互行為を重視していない発言ですかね。
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