うわっ、マジですかー。思わずウェブ魚拓を取ってしまった。
「新入生に「日本語の文章講座」、論理的思考力を育成…早大」(→yomiuri online)。何に驚いたって、「日本語を専門的に学んだ大学院生が添削」ってところ。
それって日本語学の人ではないよね。だとするとどのジャンルの人を指すのだろう?どの大学でも、「文章表現」みたいな授業は日本語学よりもむしろ文学の人が担当するように思うがどうか。日本語学の人でも、まあできるけども、日本語を専門的に学んだ人=日本語学の人だとするとそれはちょっと違うのではないかと思った。
ていうかこういうときに言われがちな「日本語」って、論理構築力であったりするので、誤解を生むと思う。こうやって記事にされちゃうと、強化されるべきは「日本語」ってことになって、ほらすぐに母語は大事って言い出すでしょ。もちろん論理は言語で構築されるし、論理そのもののは言語に制約されているのも分かるけど、論理が言語そのものというわけじゃないんだから。
「新入生に「日本語の文章講座」、論理的思考力を育成…早大」(→yomiuri online)。何に驚いたって、「日本語を専門的に学んだ大学院生が添削」ってところ。
「日本語の文章講座」では、2か月間、毎週違う課題が与えられ、添削は、日本語を専門的に学んだ早大の大学院生が担当。論文の提出と添削はインターネットを通じて行うことが検討されている。一つの新聞記事に対し賛成や反対の立場から書かせたり、自分で決めたテーマについて論理構成を意識して記述させたりするという。
それって日本語学の人ではないよね。だとするとどのジャンルの人を指すのだろう?どの大学でも、「文章表現」みたいな授業は日本語学よりもむしろ文学の人が担当するように思うがどうか。日本語学の人でも、まあできるけども、日本語を専門的に学んだ人=日本語学の人だとするとそれはちょっと違うのではないかと思った。
ていうかこういうときに言われがちな「日本語」って、論理構築力であったりするので、誤解を生むと思う。こうやって記事にされちゃうと、強化されるべきは「日本語」ってことになって、ほらすぐに母語は大事って言い出すでしょ。もちろん論理は言語で構築されるし、論理そのもののは言語に制約されているのも分かるけど、論理が言語そのものというわけじゃないんだから。
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